
(圖為筑摩書房《新編 我12歲》封面。這部詩集收錄岡真史(1962-1975)小學六年級至中學一年級自殺前的詩作,昭和五十一年(1976)由筑摩書房以單行本形式出版,在日本掀起話題。隔年,作曲家高橋悠治(1938-)從中選出十首作品加以譜曲,發行歌曲集。昭和六十年(1985),筑摩書房改出新版的文庫本,除加入作者父母與讀者通信的內容,又請父親高史明(1932-)為文庫版撰寫解說,引領讀者更加貼近十二歲少年纖細敏銳的感性世界)
【作者簡介】

岡真史(1962-1975),昭和時期的寫詩少年。東京都人。父親為作家高史明(1932-)。受父親影響,自幼廣泛涉獵東西方書籍。昭和五十年(1975)四月,進入東京都小平市立第一中學就讀。同年七月十七日傍晚,在住宅區跳樓自殺,得年十二歲,尋短動機至今不明。死後,作品由父母集結成詩集《我12歲》出版。
[雪]
白色寶石
不斷從天空落下
但我們
得到它也沒有用
那是……
馬上就會融化的東西
不會像天空一樣被珍惜
可是
為什麼天空
要給我們
叫做「雪」的寶石呢
[ユキ]
白い宝石を
どんどん空からおっことす
でもぼくたち
もらってもしょうがない
それは……
すぐにとかしてしまうもの
空のように大事にしない
なのになぜ
空はぼくたちに
<ユキ>という
宝石をおっことすのかなあ
[黃昏]
黃昏
紅紅的
燃燒的太陽
讓雲朵和天空
都成了伙伴……
雲朵和天空
染成鮮紅一片
我
也是伙伴喔
你看
我全身紅通通的
[夕ぐれ]
夕ぐれ
赤い
もえたつ太ようが
くもも空も
みんな
仲間入りさせてる……
くもも空も
まっかにそまる
ぼくも
仲間だよね
ほら
全身まっ赤だよ
[春]
凝神靜聽
春天的腳步聲響起
乘著綠色的微風
腳步聲由遠而近
到處都是
一身翠綠的
小伙子的呼喊聲
是啊……馬上就是春天了
[春]
耳をすますと
春のあしおとがする
みどり色の風にのって
やってくるあしおと
早くも
みどりのわかしゅの
さけびごえでいっぱいだ
そう……もうすぐ春だ!
[雨]
今天又下雨了
想像著……
明天也會下雨吧
明天會怎樣
當然沒有人知道
所以
預測一下吧
明天
會放晴……?
[雨]
きょうも雨だった
あしたも雨だろうか
そうぞうする……
あすはもちろん
だれにもわからない
だから
よそうをするのさ
アシタは
はれ……?
[旅行前]
暢快奔馳的電車
翠綠的山和海
還有澄澈的天空
都是旅行前的想像
[りょこう前]
そうかいにはしる電車
青々とした山、海
すみきった空
りょこうの前のそうぞう
[路上偶遇]
路上忽然
遇見她
無意間
遇見她
我倆
互不相識
走了過去
對我來說
卻是
天翻地覆的
大事
之後
那條路
走了無數次
卻再也
沒見過她
[道でバッタリ]
みちでバッタリ
出会ったョ
なにげなく
出会ったョ
そして両方とも
知らんかおで
とおりすぎたョ
でもぼくにとって
これは世の中が
ひっくりかえる
ことだョ
あれから
なんべんも
この道を歩いたョ
でももう一ども
会わなかったよ
[山茶花]
山茶花
每次一落下
大家總說「哎唷,好髒亂」
卻忘記了
最初的美麗
[つばき]
つばき
おちてしまうとみんなは
「ワアきたない」という
はじめの
美しさもわすれてしまって
[對不起]
一顆淚珠
相當於一滴雨水
誤會的淚珠
相當於雨後葉片上濺出的
一滴雨水
對不起這抹微笑
相當於雨後的彩虹
[ごめんなさい]
一つぶのなみだは
一てきの雨にあたいする
思いちがいのなみだは
雨上がりの葉からほとばしる
一てきの雨にあたいする
ごめんなさいというほほえみは
雨上がりのにじにあたいする
[自己]
只要人一多
自己就會發瘋
然後,人
會覺得
只有自己是瘋子
也就是說
大家
都覺得
自己是瘋子
[自分]
たくさん人がいると
自分がきちがいになる
そして人は
自分だけがきちがいと
思っている
つまり
みんなが自分のことを
きちがいと
思っているのだ
[我不會死]
我
或許死了
但我不能死
不,不會死
只有我
絕不會死
因為
我
就是我自己
[ぼくはしなない]
ぼくは
しぬかもしれない
でもぼくはしねない
いやしなないんだ
ぼくだけは
ぜったいにしなない
なぜならば
ぼくは
じぶんじしんだから
譯自:岡真史,《新編 ぼくは12歳》(東京:筑摩書房,1985),頁26、27、、、、83、109、110。
圖片來源:https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480020291/
文章定位: