(圖為新潮社《武者小路實篤詩集》文庫本的封面。武者小路實篤(1885-1976)不屬詩壇人士,但在明治以來詩的潮流中別具一格。對自己的詩,在詩集《歡喜》的後記裡有如下感想:「詩也有各式各樣的種類。我不知道我的詩是怎樣的詩,人們說不定會說,這些不能算是所謂的詩。或許可稱作自由詩吧?我對詩並沒有特別研究。只是在創作的時候,心情逐漸高揚,而生出長著翅膀的詞彙。自己覺得,那時候詩自然就誕生了。至少我是在那時候寫詩的。散文,正如同雙腳在地上行走,有爬行的時候,有步行的時候,也有快跑的時候,卻不能離開地面。詩如果不能像飛機滑行離開地面,它也無法誕生。一旦離開地面,就成為詩。至少我是這麼認為的。人類的舉動一化為詩,便成舞蹈。詞彙一生出翅膀,便成為詩」。法國詩人保羅‧華萊里(Paul Valéry, 1871-1945)曾說:「不是像羽毛輕飄飄,須如鳥兒般輕盈」。這區別在詩的本質上至關重要。沒有把生命傾注在詞彙裡,詩只能像羽毛一樣輕飄飄,不過是難解的語言遊戲。武者小路將無邪精神注入詞彙,克服此輕薄之弊,成為自由翱翔的思想詩。《武者小路實篤詩集》由編者龜井勝一郎(1907-1966)挑選,再經武者小路精選,共收錄一百一十七首代表詩作。昭和二十八年(1953)由東京的新潮社出版文庫本,平成十一年(1999)改版發行)
【譯前說明】
本站曾於二〇〇四年二月十日至二月十四日間,以題名武者小路實篤詩作(一)、(二)、(三)、(四)、(五)五篇文章,每篇各五首詩的形式發表二十五首武者小路實篤詩的譯作。十八年後的二〇二二年四月十七日,刪去其中九首譯作,增譯四首作品(〈秋天來了〉、〈這條路之外〉、〈滿月掛在山上〉、〈泉〉),並修正詩句、圖說、作者簡介及譯注的錯誤,合併成一篇文章於武者小路實篤詩作(一)原網址處更改題名發表。
【作者簡介】
武者小路實篤(1885-1976),明治至昭和時期的小說家、劇作家、詩人。東京都人。生於子爵之家。學習院畢業後,進入東京帝國大學,明治四十年(1907)自東大肄業。就讀學習院時,傾倒於拖爾斯泰(Lev Nikolaevich Tolstoi, 1828-1910)的和平主義。明治四十三年(1910),和志賀直哉(1883-1971)等人創刊《白樺》雜誌,並受莫里斯.梅特林克(Maurice Maeterlinck, 1862-1949)的影響,以平易的口語文體,讚美個人和人類的生命,展現大膽且徹底的自我肯定之主張,成為人道主義文學的代表者。為了促成和諧的社會、實現人道主義的理想,大正七年(1918),在宮崎縣發起興建「新村」的運動。昭和初期,撰寫《井原西鶴》等多部傳記,並藉遊歷歐美的機會,執筆美術論述,也開始嘗試作畫。此一時期,還撰寫支持日本對外戰爭的文章。二次大戰後因而被開除公職,但於小說、詩、繪畫等領域仍持續旺盛的創作活動。公職開除令廢止後,在昭和二十六年(1951)獲頒文化勳章。著有劇本《愛欲》和小說《老實人》、《幸福者》、《友情》、《人類萬歲》、《真理先生》等。
[秋天來了]
秋天來了,
涼爽的秋天來了,
寂寞的秋天來了,
想念她的秋天來了。
開始愛上她是在秋天,
老實把愛上她的事告訴母親是在秋天,
她搬到遠方也在秋天,
秋天總是寂寞的時節。
秋天來了,
那個秋天來了。
去年此時每天都見到她的身影。
今年要度過見不到她的秋天。
[秋が来た]
秋が来た、
涼しい秋が来た、
淋しい秋が来た、
彼女なつかしい秋が来た。
彼女を恋し始めたのは秋だった。
彼女を恋していることを母に打ちあけたのも秋だった。
彼女の遠くへ引越したのも秋だった。
さもなくも秋は淋しい時だ。
秋が来た、
その秋が来た。
去年の今時分は每日彼女の姿を見た。
今年は彼女を見ずに秋をすごすのだ。
[死]
自己一坐到書桌前
就有個傢伙在嘀咕:
「你想永遠活著吧,永遠」
「不」自己說,
「那只打算活到五十歲囉」
那傢伙說。
「這個嘛」自己說,
開始有點不安。
「能再活下去嗎」自己小聲詢問。
「這個嘛」那傢伙帶著笑容說
然後就不知到哪兒去了。
[死]
自分が机に向っていると
こんなことを囁く奴がいる
「お前は何時までも生きるつもりでいるのだね、何時までも」
「いゝえ」と自分は云った、
「それでも五十までは生きる心算だろう」
とそいつは云った。
「さあ」と自分は云った、
そうして少し不安になった。
「生きられませんか」自己は小声で聞いた。
「さあ」とそいつは笑を帯びて云った
そうして何処かへ行ってしまった。
[一位女子與三個男人]
一位美麗女子。
有三個男人愛上她。
一個成了她的丈夫。
一個自甘墮落。
還有一個成為詩人,
他的名字叫但丁。
[一人の女と三人の男]
一人の美しい女が居た。
三人の男がその女を恋した。
一人の男がその夫になった。
一人の男は堕落した。
あとの一人は詩人になった、
その人の名をダンテと云った。
[太陽與月亮]
太陽與月亮
在某天見面時,
不經意聊到地球的話題。
那時月亮說起夜晚的地球,
是多麼起勁而有趣、美麗。
太陽聽後一副不可思議的表情。
「地球上可沒有那樣的地方」太陽說。
「我從地球誕生到現在
一直盯著地球看
卻沒見過那樣的地方」太陽又說。
月亮想了想,好像想起什麼似的
「我知道了我知道了
你一看地球,地球就變成白天,
沒錯,當你看到的時候,
地球就變成白天了」月亮說。
「這樣啊…」太陽沉吟。
但不懂月亮話裡的意思。
他倆談了其他事情後就告別了。
後來太陽下定決心要見到夜晚的地球。
一萬年間,太陽不斷仔細觀察。
卻還是沒發現。
於是太陽一邊微笑一邊自語:
「月亮那傢伙! 是看到幻影吧」
[太陽と月]
太陽と月とが
ある日逢った時、
ふと地球の話をした。
その時月が夜の地球の話をした、
いかにも気のりがして面白そうに、美しく。
太陽はそれを聞いて不思議そうな顔をした。
そうして「地球にそんな所があるはずがない」と云った。
「僕は地球が生れてから今迄
たえず地球を見ているが
そんな処は見たことがない」と云った。
月は何か考えて居たが、何か思い当ったように
「わかりました/\
貴君が地球を御覧になると、地球が昼になるのです、
そうです、貴君が御覧になると、
地球が昼になるのです、」と云った。
「そうかなー」と太陽は云った。
しかし月の云った意味はわからなかった。
それから外の話をして別れてしまった。
その後太陽はどうかして夜の地球を見たいと思った。
一万年の間、注意をおこたらずに見た。
しかしとう/\見つからなかった。
其処で太陽は微笑みながら独言した、
「月の奴め! 幻を見てやがるのだな」
[神這種東西]
神這種東西或許是不存在的
我好可怕。
[神というものは]
神と云うものはないものかも知れないが
俺はこわい。
[我]
嗯,我也站起來吧。
哎,再坐一會好了。
[さあ俺も]
さあ、俺も立ち上るかな。
まあ、もう少し坐っていよう。
[佛陀]
叫做佛陀的男子
是個偉大的傢伙。
活生生成了真理。
再也死不了。
[仏陀と云う]
仏陀と云う男は
偉い奴だ。
生きたまゝ真理になった。
もう死ねない。
[這條路之外]
這條路之外
沒有其他適合我的生存之路
就走這條路了。
[この道より]
この道より
我を生かす道なし
この道を歩く。
[我們是杉林]
我們是杉林
雖然互相合作
卻也獨自生存。
我們是人類
雖然互相合作
卻也獨自生存。
[俺達は杉の林]
俺達は杉の林
協力はするが
独立する。
俺達は人間
協力はするが
独立する。
[吹笛子的男人]
一個男人
吹著笛
誰也沒來
吹著笛
來了一人
吹著笛
來了兩人
吹著笛
來了十人
吹著笛
來了百人
吹著笛
什麼都不知地
吹著笛。
[笛を吹く男]
一人の男が
笛を吹く
誰も来ないが
笛を吹く
一人が来たが
笛を吹く
二人が来たが
笛を吹く
十人来たが
笛を吹く
百人来たが
笛を吹く
何も知らずに
笛を吹く。
[滿月掛在山上]
滿月掛在山上
照遍四周
白天的世界消失了
全化為黑夜的世界。
草木詭異地活著,
澡堂的骨架,
也詭異地活著。
萬物露出迥異於白天的一面
白天醒著的都睡了
白天睡著的都醒了。
自己像是進入了不同的世界
看著統治黑夜世界的
帝王的世界。
[満月は山の上にあって]
満月は山の上にあって
くまなくあたりを照らす
昼の世界は消えて
すべては夜の世界とかわる。
草木は異様に生き、
湯殿の骨ぐみ、
又異様に生きたり。
万物は昼とちがう半面を見せ
昼めざめるものはねむり
昼ねむるものはめざめたり。
自分はちがう世界に入ったように
夜の世界に君臨する
帝王の世界を見たり。
[題蘋果之畫]
「我是一個存在
死亡前活得美麗燦爛
死亡後只把種子留在地上
就能滿足的
一個存在」
[リンゴの画を題す]
「私は一つの存在
亡ぶまでは美しく生き
亡べば地上に種をのこすなり
満足せる
一つの存在」
[桃栗]
桃栗三年柿八年
達摩九年
我一生。(註一)
[桃栗]
桃栗三年柿八年
だるまは九年
俺は一生。
[泉]
泉不知泉水流向何處,讓泉水溢滿地面,
雞忘記生下多少蛋,每天都在下蛋。
我不知會有誰來讀,每天都揮筆寫作,
有時或許出現筆誤。
偶爾也能生下好蛋吧。
能不能找出來,就交給人們了。
如果找出好吃的蛋,就把它吃掉,
不然,丟掉也行。
我生蛋是沒想過這些的。
每天生下蛋後就不管了。
生蛋是我的任務。
吃掉它是某人的任務。
沒被吃掉的話可能還會腐壞。
不過也可能在某處孵出小雞。
泉不知所流之處而溢出,
雞一直一直下蛋而老去。
[泉]
泉は何処に水が流れるかを知らずに水を地上にあふれさす、
鶏はいくつ卵を生んだか忘れて毎日々々卵を生む。
私は誰がよむとも知らず毎日何かをかく、
時には書き損いもあるかも知れない。
たまにはいゝ卵も生むだろう。
見つけるか見つけないか、それは人々にまかせる。
滋味がある卵を見つけたら、食べてくれ、
さもなければすてておいてくれ。
私はそんなことを考えずに卵は生むのだ。
毎日々々生みっぱなしにするのだ。
生むのは私の任務だ。
それを食べるのは誰かの任務だ。
食べられなければ、くさりもするだろう。
だが何処かで、ひよっこがかえるかも知れない。
泉は流れる所を知らずにあふれ、
鶏は卵を生んで生んで齢とってゆくのだ。
[觀梁楷《踊布袋圖》(一)](註二)
布袋先生、布袋先生
你為何那麼愉快?
愉快呀愉快得不得了
太愉快了
才把那麼愉快的原因忘得一乾二淨。
愉快愉快
活著愉快
死也愉快
你不這麼認為嗎
真是個怪人。
愉快愉快
原因都忘了
愉快呀愉快得不得了唷。
[梁楷の「踊布袋」を見て(一)]
布袋さん、布袋さん
何がそんなに愉快なのです。
愉快で愉快で仕方がない
あんまり愉快で
なにがそんなに愉快なのか忘れてしまった。
愉快だ愉快だ
生きていることは愉快だ
そして死ぬことも愉快だ
君はそうは思わないか
へんな人だね。
愉快だ愉快だ
原因は忘れたが
愉快で愉快で仕方がないよ。
[觀梁楷《踊布袋圖》(二)]
布袋歡喜雀躍
在路上走著
大家都在看他
可他完全沒發覺。
為什麼開心
他忘了
只是覺得開心而已。
自己的貧困
自己的死亡
自己的歡笑
還有時間、地點他全忘了
只是覺得開心而已。
他任憑生命的安排
歡喜雀躍著。
[梁楷の「踊布袋」を見て(二)]
布袋は歓喜雀躍して
往来を步いている
皆が見ていることなぞ
彼は少しも気がつかない。
何が嬉しいのか
彼は忘れている
ただ嬉しいのだ。
自分の貧乏なことも
自分の死ぬことも
自分が笑われていることも
時も処も彼は忘れているのだ
ただ嬉しいのだ。
生命の命ずるままに
歓喜雀躍しているのだ。
[畫家與青蛙]
畫家替某隻青蛙寫生時這麼說:
「你一位祖先
躍上柳枝
讓道風成了書聖。(註三)
另一位祖先
跳進古池
讓芭蕉成了俳聖。(註四)
現在的你
請不要動
讓我成為畫聖吧」
但青蛙不當一回事
輕輕一跳
失去了蹤影。
[ある画家とある蛙]
ある画家はある蛙を写生してこう言った。
「お前の先祖のある蛙は
柳に飛びついて
道風を書聖にした。
又あるお前の先祖は
古池に飛び込んで
芭蕉を俳聖にした。
さてお前は
じっとしていて
俺を画聖にしておくれ」
だが蛙は何とも思わず
ぴょんととんで
消えうせた。
[蘋果與柑橘]
你和我
同是美味的水果
你卻喜寒
我愛暖
你穿紅衣
我黃衫
相似之處妙難言
不似之處也有趣
[林檎と蜜柑]
汝と我と同じく
美味な果実なれども
汝は寒を愛し
我は暖を愛す
汝は紅にして
我は黃なり
似た所面白く
似ぬ所又面白し
[柿與柚]
同受風吹雨打
你甘甜我酸澀
你膚紅我皮黃
人們讚美你
卻也捨不下我
[柿と柚]
同じく風雨にさらされども
汝は甘く我は酸し
汝は赤く我は黃なり
人汝を讃美すれど
又我を捨てず
[玄妙]
玄妙 玄妙
自然玄妙
人生玄妙
在玄妙的世界
優遊自得者
方為悟道之人
玄妙的六祖
剖開玄妙之竹
玄妙的畫家梁楷
畫竹而成玄妙之畫
玄妙 玄妙
人類玄妙
宇宙玄妙
[玄妙]
玄妙 玄妙
自然玄妙
人生玄妙
玄妙の世界に
遊び得る者
之 悟道の人なり
玄妙の六祖
玄妙の竹を切る
玄妙の画家梁楷
それをえがいて玄妙の画をつくる
玄妙 玄妙
人間玄妙
宇宙玄妙
註一:(譯注)「桃栗三年柿八年」,指桃、栗須三年才能開花,柿則待八年才結果;「達摩九年」,指達摩以長達九年的時間面壁;「我一生」,指相對於達摩面壁九年,我須窮盡一生,始能超脫人生之境。
註二:(譯注)梁楷的《踊布袋圖》,指南宋畫家梁楷(生卒年不詳)的禪畫《踊布袋圖》。
註三:(譯注)道風,即小野道風(894-966),平安中期的官員、書法家。祖父為小野篁(802-852),父親為小野葛絃。歷仕醍醐、朱雀、村上三天皇,官至正四位下,內藏權頭。以王羲之的書法為根基,開拓和式書法,和藤原佐理(944-998)、藤原行成(972-1027)並稱為「三蹟」(平安中期三位書法家),而書跡被尊為「野跡」。代表作有《智証大師諡號敕書》、《屏風土代》、《玉泉帖》和《三體白氏詩卷》等。「讓道風成了書聖」,指小野道風見青蛙歷經多次失敗後終於跳上柳枝,而頓悟凡事只要努力便可成功。後來,道風不斷自我淬鍊,遂成書法大家。
註四:(譯注)芭蕉,即松尾芭蕉(1644-1694),江戶前期的俳人。生於伊賀上野。名宗房,別號有桃青、泊船堂、風羅坊。擔任藤堂藩伊賀付侍大將家嫡子藤堂良忠(俳號蟬吟)的近侍,受其感化而學習俳諧。良忠病歿後,在京都師事北村季吟(1624-1705)。後下江戶,移住到深川的芭蕉庵,開拓獨特的「蕉風」。之後,生涯在旅行中度過。因體驗「奧之細道」之旅,確立了「不拘任何時代皆流行」(「不易流行」)的理念。創作上追求俳句幽玄、微妙境界的實踐,晩年又回到俳諧原本的庶民性,達成日常平易的俳風。將俳諧提升到文藝層次,功績卓著,被稱為「俳聖」。弟子有著名的「蕉門十哲」共十人。後世將其俳諧代表作收入《俳諧七部集》,而主要的遊記與日記有《野晒紀行》、《笈之小文》、《更科紀行》、《奧之細道》、《幻住庵記》、《嵯峨日記》等。「讓芭蕉成了俳聖」,指松尾芭蕉三百年前所作的俳句:「寂靜古池塘/青蛙躍入水中央/撲通一聲響」(「古池や蛙飛び込む水の音」)廣為人知,故提到俳聖芭蕉時,浮現在腦海裡的便是此名句。
譯自:亀井勝一郎編,《武者小路実篤詩集》(東京:新潮社,1953),頁13、14、28、29、34、35、63、64、67、83、84、88、89、113、120、136、137、148-150、158、159、196-198。
圖片來源:https://www.shinchosha.co.jp/book/105712/
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