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2004-02-10 23:59:14| 人氣4,223| 回應1 | 上一篇 | 下一篇

【詩譯情箋】武者小路實篤詩作二十首

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(圖為新潮社《武者小路實篤詩集》文庫本的封面。武者小路實篤(1885-1976)不屬詩壇人士,但在明治以來詩的潮流中別具一格。對自己的詩,在詩集《歡喜》的後記裡有如下感想:「詩也有各式各樣的種類。我不知道我的詩是怎樣的詩,人們說不定會說,這些不能算是所謂的詩。或許可稱作自由詩吧?我對詩並沒有特別研究。只是在創作的時候,心情逐漸高揚,而生出長著翅膀的詞彙。自己覺得,那時候詩自然就誕生了。至少我是在那時候寫詩的。散文,正如同雙腳在地上行走,有爬行的時候,有步行的時候,也有快跑的時候,卻不能離開地面。詩如果不能像飛機滑行離開地面,它也無法誕生。一旦離開地面,就成為詩。至少我是這麼認為的。人類的舉動一化為詩,便成舞蹈。詞彙一生出翅膀,便成為詩」。法國詩人保羅‧華萊里(Paul Valéry, 1871-1945)曾說:「不是像羽毛輕飄飄,須如鳥兒般輕盈」。這區別在詩的本質上至關重要。沒有把生命傾注在詞彙裡,詩只能像羽毛一樣輕飄飄,不過是難解的語言遊戲。武者小路將無邪精神注入詞彙,克服此輕薄之弊,成為自由翱翔的思想詩。《武者小路實篤詩集》由編者龜井勝一郎(1907-1966)挑選,再經武者小路精選,共收錄一百一十七首代表詩作。昭和二十八年(1953)由東京的新潮社出版文庫本,平成十一年(1999)改版發行

 

 

【譯前說明】

 

本站曾於二〇〇四年二月十日至二月十四日間,以題名武者小路實篤詩作(一)、(二)、(三)、(四)、(五)五篇文章,每篇各五首詩的形式發表二十五首武者小路實篤詩的譯作。十八年後的二〇二二年四月十七日,刪去其中九首譯作,增譯四首作品(〈秋天來了〉、〈這條路之外〉、〈滿月掛在山上〉、〈泉〉),並修正詩句、圖說、作者簡介及譯注的錯誤,合併成一篇文章於武者小路實篤詩作(一)原網址處更改題名發表。

 

【作者簡介】

 

武者小路實篤(1885-1976),明治至昭和時期的小說家、劇作家、詩人。東京都人。生於子爵之家。學習院畢業後,進入東京帝國大學,明治四十年(1907)自東大肄業。就讀學習院時,傾倒於拖爾斯泰(Lev Nikolaevich Tolstoi, 1828-1910)的和平主義。明治四十三年(1910),和志賀直哉(1883-1971)等人創刊《白樺》雜誌,並受莫里斯.梅特林克(Maurice Maeterlinck, 1862-1949)的影響,以平易的口語文體,讚美個人和人類的生命,展現大膽且徹底的自我肯定之主張,成為人道主義文學的代表者。為了促成和諧的社會、實現人道主義的理想,大正七年(1918),在宮崎縣發起興建「新村」的運動。昭和初期,撰寫《井原西鶴》等多部傳記,並藉遊歷歐美的機會,執筆美術論述,也開始嘗試作畫。此一時期,還撰寫支持日本對外戰爭的文章。二次大戰後因而被開除公職,但於小說、詩、繪畫等領域仍持續旺盛的創作活動。公職開除令廢止後,在昭和二十六年(1951)獲頒文化勳章。著有劇本《愛欲》和小說《老實人》、《幸福者》、《友情》、《人類萬歲》、《真理先生》等。

 

 

[秋天來了]

 

秋天來了,

涼爽的秋天來了,

寂寞的秋天來了,

想念她的秋天來了。

 

開始愛上她是在秋天,

老實把愛上她的事告訴母親是在秋天,

她搬到遠方也在秋天,

秋天總是寂寞的時節。

 

秋天來了,

那個秋天來了。

去年此時每天都見到她的身影。

今年要度過見不到她的秋天。

 

[秋が来た]

 

秋が来た、

涼しい秋が来た、

淋しい秋が来た、

彼女なつかしい秋が来た。

 

彼女を恋し始めたのは秋だった。

彼女を恋していることを母に打ちあけたのも秋だった。

彼女の遠くへ引越したのも秋だった。

さもなくも秋は淋しい時だ。

 

秋が来た、

その秋が来た。

去年の今時分は每日彼女の姿を見た。

今年は彼女を見ずに秋をすごすのだ。

 

 

[]

 

自己一坐到書桌前

就有個傢伙在嘀咕:

「你想永遠活著吧,永遠」

「不」自己說,

「那只打算活到五十歲囉」

那傢伙說。

 

「這個嘛」自己說,

開始有點不安。

「能再活下去嗎」自己小聲詢問。

 

「這個嘛」那傢伙帶著笑容說

然後就不知到哪兒去了。

 

[]

 

自分が机に向っていると

こんなことを囁く奴がいる

「お前は何時までも生きるつもりでいるのだね、何時までも」

「いゝえ」と自分は云った、

「それでも五十までは生きる心算だろう」

とそいつは云った。

 

「さあ」と自分は云った、

そうして少し不安になった。

「生きられませんか」自己は小声で聞いた。

 

「さあ」とそいつは笑を帯びて云った

そうして何処かへ行ってしまった。

 

 

[一位女子與三個男人]

 

一位美麗女子。

有三個男人愛上她。

一個成了她的丈夫。

一個自甘墮落。

還有一個成為詩人,

他的名字叫但丁。

 

[一人の女と三人の男]

 

一人の美しい女が居た。

三人の男がその女を恋した。

一人の男がその夫になった。

一人の男は堕落した。

あとの一人は詩人になった、

その人の名をダンテと云った。

 

 

[太陽與月亮]

 

太陽與月亮

在某天見面時,

不經意聊到地球的話題。

那時月亮說起夜晚的地球,

是多麼起勁而有趣、美麗。

太陽聽後一副不可思議的表情。

「地球上可沒有那樣的地方」太陽說。

「我從地球誕生到現在

一直盯著地球看

卻沒見過那樣的地方」太陽又說。

月亮想了想,好像想起什麼似的

「我知道了我知道了

你一看地球,地球就變成白天,

沒錯,當你看到的時候,

地球就變成白天了」月亮說。

「這樣啊」太陽沉吟。

但不懂月亮話裡的意思。

他倆談了其他事情後就告別了。

後來太陽下定決心要見到夜晚的地球。

一萬年間,太陽不斷仔細觀察。

卻還是沒發現。

於是太陽一邊微笑一邊自語:

「月亮那傢伙! 是看到幻影吧」

 

[太陽と月]

 

太陽と月とが

ある日逢った時、

ふと地球の話をした。

その時月が夜の地球の話をした、

いかにも気のりがして面白そうに、美しく。

太陽はそれを聞いて不思議そうな顔をした。

そうして「地球にそんな所があるはずがない」と云った。

「僕は地球が生れてから今迄

たえず地球を見ているが

そんな処は見たことがない」と云った。

月は何か考えて居たが、何か思い当ったように

「わかりました/\

貴君が地球を御覧になると、地球が昼になるのです、

そうです、貴君が御覧になると、

地球が昼になるのです、」と云った。

「そうかなー」と太陽は云った。

しかし月の云った意味はわからなかった。

それから外の話をして別れてしまった。

その後太陽はどうかして夜の地球を見たいと思った。

一万年の間、注意をおこたらずに見た。

しかしとう/\見つからなかった。

其処で太陽は微笑みながら独言した、

「月の奴め! 幻を見てやがるのだな」

 

 

[神這種東西]

 

神這種東西或許是不存在的

我好可怕。

 

[神というものは]

 

神と云うものはないものかも知れないが

俺はこわい。

 

 

[]

 

嗯,我也站起來吧。

哎,再坐一會好了。

 

[さあ俺も]

 

さあ、俺も立ち上るかな。

まあ、もう少し坐っていよう。

 

 

[佛陀]

 

叫做佛陀的男子

是個偉大的傢伙。

活生生成了真理。

再也死不了。

 

[仏陀と云う]

 

仏陀と云う男は

偉い奴だ。

生きたまゝ真理になった。

もう死ねない。

 

 

[這條路之外]

 

這條路之外

沒有其他適合我的生存之路

就走這條路了。

 

[この道より]

 

この道より

我を生かす道なし

この道を歩く。

 

 

[我們是杉林]

 

我們是杉林

雖然互相合作

卻也獨自生存。

 

我們是人類

雖然互相合作

卻也獨自生存。

 

[俺達は杉の林]

 

俺達は杉の林

協力はするが

独立する。

 

俺達は人間

協力はするが

独立する。

 

 

[吹笛子的男人]

 

一個男人

吹著笛

誰也沒來

吹著笛

來了一人

吹著笛

來了兩人

吹著笛

來了十人

吹著笛

來了百人

吹著笛

什麼都不知地

吹著笛。

 

[笛を吹く男]

 

一人の男が

笛を吹く

誰も来ないが

笛を吹く

一人が来たが

笛を吹く

二人が来たが

笛を吹く

十人来たが

笛を吹く

百人来たが

笛を吹く

何も知らずに

笛を吹く。

 

 

[滿月掛在山上]

 

滿月掛在山上

照遍四周

白天的世界消失了

全化為黑夜的世界。

草木詭異地活著,

澡堂的骨架,

也詭異地活著。

萬物露出迥異於白天的一面

白天醒著的都睡了

白天睡著的都醒了。

自己像是進入了不同的世界

看著統治黑夜世界的

帝王的世界。

 

[満月は山の上にあって]

 

満月は山の上にあって

くまなくあたりを照らす

昼の世界は消えて

すべては夜の世界とかわる。

草木は異様に生き、

湯殿の骨ぐみ、

又異様に生きたり。

万物は昼とちがう半面を見せ

昼めざめるものはねむり

昼ねむるものはめざめたり。

自分はちがう世界に入ったように

夜の世界に君臨する

帝王の世界を見たり。

 

 

[題蘋果之畫]

 

「我是一個存在

死亡前活得美麗燦爛

死亡後只把種子留在地上

就能滿足的

一個存在」

 

[リンゴの画を題す]

 

「私は一つの存在

亡ぶまでは美しく生き

亡べば地上に種をのこすなり

満足せる

一つの存在」

 

 

[桃栗]

 

桃栗三年柿八年

達摩九年

我一生。(註一)

 

[桃栗]

 

桃栗三年柿八年

だるまは九年

俺は一生。

 

 

[]

 

泉不知泉水流向何處,讓泉水溢滿地面,

雞忘記生下多少蛋,每天都在下蛋。

我不知會有誰來讀,每天都揮筆寫作,

有時或許出現筆誤。

偶爾也能生下好蛋吧。

能不能找出來,就交給人們了。

如果找出好吃的蛋,就把它吃掉,

不然,丟掉也行。

我生蛋是沒想過這些的。

每天生下蛋後就不管了。

生蛋是我的任務。

吃掉它是某人的任務。

沒被吃掉的話可能還會腐壞。

不過也可能在某處孵出小雞。

 

泉不知所流之處而溢出,

雞一直一直下蛋而老去。

 

[]

 

泉は何処に水が流れるかを知らずに水を地上にあふれさす、

鶏はいくつ卵を生んだか忘れて毎日々々卵を生む。

私は誰がよむとも知らず毎日何かをかく、

時には書き損いもあるかも知れない。

たまにはいゝ卵も生むだろう。

見つけるか見つけないか、それは人々にまかせる。

滋味がある卵を見つけたら、食べてくれ、

さもなければすてておいてくれ。

私はそんなことを考えずに卵は生むのだ。

毎日々々生みっぱなしにするのだ。

生むのは私の任務だ。

それを食べるのは誰かの任務だ。

食べられなければ、くさりもするだろう。

だが何処かで、ひよっこがかえるかも知れない。

 

泉は流れる所を知らずにあふれ、

鶏は卵を生んで生んで齢とってゆくのだ。

 

 

[觀梁楷《踊布袋圖》(一)](註二)

 

布袋先生、布袋先生

你為何那麼愉快?

 

愉快呀愉快得不得了

太愉快了

才把那麼愉快的原因忘得一乾二淨。

愉快愉快

活著愉快

死也愉快

你不這麼認為嗎

真是個怪人。

愉快愉快

原因都忘了

愉快呀愉快得不得了唷。

 

[梁楷の「踊布袋」を見て(一)]

 

布袋さん、布袋さん

何がそんなに愉快なのです。

 

愉快で愉快で仕方がない

あんまり愉快で

なにがそんなに愉快なのか忘れてしまった。

愉快だ愉快だ

生きていることは愉快だ

そして死ぬことも愉快だ

君はそうは思わないか

へんな人だね。

愉快だ愉快だ

原因は忘れたが

愉快で愉快で仕方がないよ。

 

 

[觀梁楷《踊布袋圖》(二)]

 

布袋歡喜雀躍

在路上走著

大家都在看他

可他完全沒發覺。

為什麼開心

他忘了

只是覺得開心而已。

自己的貧困

自己的死亡

自己的歡笑

還有時間、地點他全忘了

只是覺得開心而已。

他任憑生命的安排

歡喜雀躍著。

 

[梁楷の「踊布袋」を見て(二)]

 

布袋は歓喜雀躍して

往来を步いている

皆が見ていることなぞ

彼は少しも気がつかない。

何が嬉しいのか

彼は忘れている

ただ嬉しいのだ。

自分の貧乏なことも

自分の死ぬことも

自分が笑われていることも

時も処も彼は忘れているのだ

ただ嬉しいのだ。

生命の命ずるままに

歓喜雀躍しているのだ。

 

 

[畫家與青蛙]

 

畫家替某隻青蛙寫生時這麼說:

「你一位祖先

躍上柳枝

讓道風成了書聖。(註三)

另一位祖先

跳進古池

讓芭蕉成了俳聖。(註四)

現在的你

請不要動

讓我成為畫聖吧」

但青蛙不當一回事

輕輕一跳

失去了蹤影。

 

[ある画家とある蛙]

 

ある画家はある蛙を写生してこう言った。

「お前の先祖のある蛙は

柳に飛びついて

道風を書聖にした。

又あるお前の先祖は

古池に飛び込んで

芭蕉を俳聖にした。

さてお前は

じっとしていて

俺を画聖にしておくれ」

だが蛙は何とも思わず

ぴょんととんで

消えうせた。

 

 

[蘋果與柑橘]

 

你和我

同是美味的水果

你卻喜寒

我愛暖

你穿紅衣

我黃衫

相似之處妙難言

不似之處也有趣

 

[林檎と蜜柑]

 

汝と我と同じく

美味な果実なれども

汝は寒を愛し

我は暖を愛す

汝は紅にして

我は黃なり

似た所面白く

似ぬ所又面白し

 

 

[柿與柚]

 

同受風吹雨打

你甘甜我酸澀

你膚紅我皮黃

人們讚美你

卻也捨不下我

 

[柿と柚]

 

同じく風雨にさらされども

汝は甘く我は酸し

汝は赤く我は黃なり

人汝を讃美すれど

又我を捨てず

 

 

[玄妙]

 

玄妙 玄妙

自然玄妙

人生玄妙

 

在玄妙的世界

優遊自得者

方為悟道之人

 

玄妙的六祖

剖開玄妙之竹

玄妙的畫家梁楷

畫竹而成玄妙之畫

 

玄妙 玄妙

人類玄妙

宇宙玄妙

 

[玄妙]

 

玄妙 玄妙

自然玄妙

人生玄妙

 

玄妙の世界に

遊び得る者

之 悟道の人なり

 

玄妙の六祖

玄妙の竹を切る

玄妙の画家梁楷

それをえがいて玄妙の画をつくる

 

玄妙 玄妙

人間玄妙

宇宙玄妙

 

 

註一:(譯注)「桃栗三年柿八年」,指桃、栗須三年才能開花,柿則待八年才結果;「達摩九年」,指達摩以長達九年的時間面壁;「我一生」,指相對於達摩面壁九年,我須窮盡一生,始能超脫人生之境。

註二:(譯注)梁楷的《踊布袋圖》,指南宋畫家梁楷(生卒年不詳)的禪畫《踊布袋圖》。

註三:(譯注)道風,即小野道風(894-966),平安中期的官員、書法家。祖父為小野篁(802-852),父親為小野葛絃。歷仕醍醐、朱雀、村上三天皇,官至正四位下,內藏權頭。以王羲之的書法為根基,開拓和式書法,和藤原佐理(944-998)、藤原行成(972-1027)並稱為「三蹟」(平安中期三位書法家),而書跡被尊為「野跡」。代表作有《智証大師諡號敕書》、《屏風土代》、《玉泉帖》和《三體白氏詩卷》等。「讓道風成了書聖」,指小野道風見青蛙歷經多次失敗後終於跳上柳枝,而頓悟凡事只要努力便可成功。後來,道風不斷自我淬鍊,遂成書法大家。

註四:(譯注)芭蕉,即松尾芭蕉(1644-1694),江戶前期的俳人。生於伊賀上野。名宗房,別號有桃青、泊船堂、風羅坊。擔任藤堂藩伊賀付侍大將家嫡子藤堂良忠(俳號蟬吟)的近侍,受其感化而學習俳諧。良忠病歿後,在京都師事北村季吟(1624-1705)。後下江戶,移住到深川的芭蕉庵,開拓獨特的「蕉風」。之後,生涯在旅行中度過。因體驗「奧之細道」之旅,確立了「不拘任何時代皆流行」(「不易流行」)的理念。創作上追求俳句幽玄、微妙境界的實踐,晩年又回到俳諧原本的庶民性,達成日常平易的俳風。將俳諧提升到文藝層次,功績卓著,被稱為「俳聖」。弟子有著名的「蕉門十哲」共十人。後世將其俳諧代表作收入《俳諧七部集》,而主要的遊記與日記有《野晒紀行》、《笈之小文》、《更科紀行》、《奧之細道》、《幻住庵記》、《嵯峨日記》等。「讓芭蕉成了俳聖」,指松尾芭蕉三百年前所作的俳句:「寂靜古池塘/青蛙躍入水中央/撲通一聲響」(「古池や蛙飛び込む水の音」)廣為人知,故提到俳聖芭蕉時,浮現在腦海裡的便是此名句。

 

譯自:亀井勝一郎編,《武者小路実篤詩集》(東京:新潮社,1953),頁13142829343563646783848889113120136137148-150158159196-198

 

圖片來源:https://www.shinchosha.co.jp/book/105712/

 

台長: 寂寞道人殊一
人氣(4,223) | 回應(1)| 推薦 (0)| 收藏 (0)
全站分類: 藝文活動(書評、展覽、舞蹈、表演)

ru
站長不好意思,關於《桃栗》一詩,柿子部份應是八年喔!
2019-08-04 10:56:49
版主回應
To:ru

翻查新潮文庫版《武者小路実篤詩集》第120頁確實記作「桃栗三年柿八年」,應被下方「だるまは九年」影響,打字時誤打成「柿九年」(已修正),感謝提示


To:各位觀客

今天開站滿十九年,期間臺灣網路生態改變許多,承襲自二十年前開啟臺灣個人部落格/網誌風潮的「明日報個人新聞台」的PChome個人新聞台,早已不是網路使用者/書寫者首選,曝光率也低,或許大家透過便利的google搜尋而發現我的站台吧,怎麼說都是緣分,總之謝謝,底下留言不一一回覆
2021-01-10 23:33:20
是 (若未登入"個人新聞台帳號"則看不到回覆唷!)
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