(圖為昭和前期的詩人尾形龜之助(1900-1942)的油畫〈化妝〉。尾形的作畫生涯,和寫詩相比,經歷的時間較短,不明處也較多。作為一位畫家,曾參與普門曉(1896-1972)的未來派美術協會,並和柳瀨正夢(1900-1945)、村山知義(1901-1977)等人組成達達派(Dadaism)的藝術團體「MAVO」。大正十一年(1922)發表的油畫〈化妝〉,以平面的線條和色彩抽象描繪物體,與人典雅的色彩感覺和精巧的近代氣息,是最為人知的一幅作品。但在此之外還有多少畫作出於其手,至今仍是未解之謎)
【作者簡介】
尾形龜之助(1900-1942),昭和前期的詩人。宮城縣人。大正末年到東京後,參加「MAVO」的前衛藝術運動,又創辦《月曜》等文學雜誌,展開旺盛的創作活動。詩作常帶有虛無、倦怠的色彩。著有《彩色玻璃之街》、《落雨的早晨》和《有拉門之家》三本詩集。
[春]
我坐在椅子上
腳重重地垂下
孤零零的
我 不反抗這樣的自己
我望著窗外萬里晴空的春天
[春]
私は椅子に坐つてゐる
足は重くたれて
淋びしくゐる
私は こうした私に反抗しない
私はよく晴れた春を窗から見てゐるのです
[天國好高]
高聳的建築物上灑著夕陽餘暉
那裡彷彿和天國相連似的
綻放金光
街上已是黃昏時刻
太太啊――
我在客滿的電車裡
[天國は高い]
高い建物の上は夕陽をあびて
そこばかりが天國のつながりのように
金色に光つてゐる
街は夕暮だ
妻よ――
私は滿員電車のなかに居る
[春日街上的櫥窗]
把臉孔遮藏起來的人是誰?
我想那不是我認識的人
但那人卻認得我
[春の街の飾窓]
顔をかくしてゐるのは誰です
私の知つてゐる人ではないと思ふのですが
その人は私を知つてゐさうです
[兩個人的詩]
像結了薄冰的
兩個人
兩個人沈默不語
兩個人的手異常冰冷
兩個人正看著月亮
[二人の詩]
薄冰のはつてゐるやうな
二人
二人は淋みしい
二人の手は冷めたい
二人は月をみている
[下雨]
踏著地平線
樂隊一行人慢吞吞前進
為此
雨連下了三天
[雨降り]
地平線をたどつて
一列の樂隊が ぐずぐず してゐた
そのために
三日もつづいて雨降りだ
[白天]
太陽和魚一樣沒有眼皮
[昼]
太陽には魚のやうにまぶたがない
[白(暫定)]
夜更深了
我錯過關燈的時機
而看見桌上的水仙
[白(仮題)]
あまり夜が更けると
私は電燈を消しそびれてしまふ
そして 机の上の水仙を見てゐることがある
[看不到]
深夜哪
在漆黑的房裡醒來
分不清被褥中晃動的雙腳是我的什麼
[眼が見えない]
ま夜中よ
このま暗な部屋に眼をさましてゐて
蒲團の中で動かしてゐる足が私の何なのかがわからない
[深夜清寂]
不眠之中夜漸深沈
我打開燈仰臥在床上
電車聲從遠方傳入耳際,夜晚變成像絲線一樣又細又長
另一端就繫在電車上
[夜がさみしい]
眠れないので夜が更ける
私は電燈をつけたまゝ仰向けになつて寢床に入つてゐる
電車の音が遠くから聞えてくると急に夜が糸のやうに細長くなつて
その端に電車がゆはへついてゐる
[夢]
妻子的手擺在睡著的我的胸前
那是紙一般薄的小手
為什麼我要愛著一位少女啊?
[夢]
眠つている私の胸に妻の手が置いてあつた
紙のやうに薄い手であつた
何故私は一人の少女を愛してゐるのであつたらう
譯自:
尾形龜之助,《色ガラスの街》,收入秋元潔編,《尾形龜之助全集》(東京:思潮社,1999),頁23-114。
尾形龜之助,《雨になる朝》,收入秋元潔編,《尾形龜之助全集》(東京:思潮社,1999),頁115-144。
圖片來源:http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_4425.html