(圖中人像為大正、昭和時期的詩人、翻譯家堀口大學(1892-1981)。堀口曾隨外交官的父親在歐美生活了九年,期間習得了法文,並接觸到法國的象徵詩,後來這些經歷就成為他在回國後翻譯法國近現代詩和詩風轉變的契機)
【作者簡介】
堀口大學(1892-1981),大正、昭和時期的詩人、翻譯家。東京都人。明治四十二年(1909),加入與謝野夫妻的新詩社。明治四十四年(1911),自慶應義塾大學肄業,即前往外交官父親的駐在地墨西哥。之後周遊歐洲各地,大正十四年(1925)始回國。歐遊期間,出版《月光與小丑》、《水面書寫》等洋溢著輕快、灑脫的知性抒情的詩集。創作之外,大量譯介法國近現代的詩歌和小說,帶給大正中期至昭和初期的文壇深遠的影響。尤其是大正十四年(1925)九月所刊行的譯詩集《月下群英》,為昭和詩壇掀起了新風潮。昭和五十四年(1979),獲頒文化勳章。另著詩集《新的小徑》、《沙堆》、《人類之歌》和譯詩集《昨日之花》、《水色的眼睛》、《沙上足跡》等。
[記憶]
許多女子因我而泣
泣者是誰,我卻記不得了
無數的面孔交疊在一起
塑出一個哭泣的女子面容
在口中吞吐煙霧的無趣日子裡
她如虛幻的電影似地出現在眼前
就像電影裡的愛情劇令我感動
一位住在墨西哥
是很像我的男孩的母親
她老淚縱橫
告訴那孩子說:
「──你的父親
在你出生以前
就已經死了!」
一位是懷有虔誠信仰的西班牙女子
富有的老人疼愛她
她卻在掛於寢室的基督受難像背後
貼上我的照片
虔誠的她
不會忘記晨昏的禮拜
一位在凝視雪白皮膚上
我所留的齒痕
雖然那是當時的癖好
可現在回想卻陷入了沉思
一位左乳房的暗處
留有N字樣的刺青
好奇的男人問她為了紀念什麼
她很神經質地出聲笑道:
「為什麼我要記得啊!」
許多女子因我而泣
泣者是誰,我卻記不得了
[記憶]
多勢の女が私の為めに泣いた
誰であつたか私にはもう記憶がない
沢山の顏が重なり合つて
一つの泣いた女の顏をつくり
退屈な日の煙草の煙の中に
幻の映画のやうに現はれて
シネマの人情劇のやうに私を感動させる
一人はメキシコに住んでゐて
私によく似た男の子の母である
彼女はその子に云つて聞かせる
昔の淚に目を潤しながら
「──お前のお父さんは
お前の生れる前に
お死にになつたのだ!」と
一人は信心深いスペイン女であり
お金持の老人に可愛がられてゐるが
寝室に懸けた基督磔刑像の
背中に私の写真を貼つてある
信心深い彼女のことだから
朝夕の礼拜を忘れたことがない
一人は真白な皮膚の上に残つた
私の歯形の痕を眺めながら
これはその頃からの癖なのだが
今も昔を忍んで思ひにふける
一人は左の乳房のかげに
Nと云ふ字の刺青を持つてゐる
好奇の男が何の記念かとたづねると
神経質に声を立てて笑ひながら
「──何で私が覚えてゐるものか!」と
多勢の女が私の為めに泣いた
誰であつたか私にはもう記憶がない
[月夜之園]
遺留在月夜之園的
是薔薇怒放的花瓣
和戀人的緞織小靴
還有被忘卻的象牙手杖
[月夜の園]
月夜の園に残れるは
こぼれたる薔薇の花弁と
恋人の繻子の小靴と
忘られし象牙の杖と
[釣星星]
在黝暗的沼澤上垂著釣竿
釣星星
把星星磨成粉吞下
就能寫出好詩
[星を釣る]
暗い沼に糸を垂れて
星を釣る
星を粉にしてのめば
いい詩が出来る
[沙堆]
沙堆很容易塌陷
少女唷!要端莊點
只要見到滿天的星星
就請遮住妳那裸露的玉膝
[砂の枕]
砂の枕はくづれ易い
少女よ お行儀よくしませう
沢山の星が見てゐますれば
あらはな膝はかくしませう
[迷幻的散步]
彷彿用麥管喝汽水
我暢飲你的戀情,從我每一個毛孔
我的眼睛愛撫著你周圍的風景
漫步在圓形的小徑
這裡是六月的麥田
這裡是多陰的山谷
只要走下舒緩的小丘
到那羊齒綠蔭下,定有你愛飲的甘泉
[幻の散步]
麦稿でソーダ水をのむやうに
私はお前の恋をのむ 我の毛穴から
私の目はお前のからだの風景を愛撫し
円味ある小径を散步する
ここは六月の麦畑です
ここは陰多い谷間です
なだらかな丘を下つたら
羊歯の葉かげの泉に来てのみませう
譯自:堀口大学,《堀口大学詩集》(東京:思潮社,1980),頁30、31、37、38、40。
圖片來源:
http://www.choryo.jorne.ed.jp/area/horiguchi.html※請安裝櫻花輸入法或是微軟IME等任何日文顯示軟體,以利閱讀。