三昧堂《玩藝布袋戲》的作者序日文翻譯~by Emma Huang
感謝好友Emmu Huang的用心:
標題:想做點什麼
最近的這兩、三個月
我真是瘋狂的"追"布袋戲
不管是老字號的"霹靂"
還是近期造成一股旋風的"三昧堂"
印象中,早在1年前好像就有聽過三昧堂的名字
只是那時不知在忙什麼
所以聽過就過了~:p
直到最近,我比較"頻繁"的和他們有接觸
適逢他們出了作品集
看了很讓我感動
所以就想做些事情
但是,我無法跟著他們跑~幫忙紀錄
拍照技術又很爛@@
所以~我只想到利用我的所學
幫他們的書翻譯成日文
(應該日本那邊也有人很愛布袋戲)
我先翻譯小金老師寫的這一篇 (中日對照)
對"三昧堂"可以有個大概的了解
至於後面的部份~我再繼續努力~^皿^
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記憶與分享
記録とシェアー
一段緣分實現無數夢想
記得幾年前,三昧堂的夥伴們一起出遊,路上小安提出一個大哉問,要大家回答,等自己百歲之後,要選哪一尊木偶陪葬。這問題先是讓大家一愣,陷入沉思,後來
展開熱烈討論,在大家委實難決定的時候,小安說不然我們出本書,把心愛的木偶都放進去,不就不用煩惱了嗎?當時只是一句玩笑話,沒有人當真。一直到二○一
○年李明老師幫三昧堂申請在嘉義市文化局博物館展覽通過後,那半年的準備時間裡,大家為了忙展覽的事全都動了起來。當時我想小安幫三昧堂畫設計圖、小K負
責造型、永昇做兵器、阿維做偶衣、建軒口白、多多操偶,每個人在三昧堂都用自己的專長不斷付出,那我能做什麼?所以,我就開始幫三昧堂記錄創作故事。
當時我有想過,這些木偶的創作過程都是獨一無二,是我們這一群朋友的友情見證,如果有一天真能結集出版,或許在許多許多年以後,也許是我們的下一代,或者是我們的孫兒輩、曾孫輩能見證我們這些「長輩」堅實永恆的情誼,以及我們瘋狂造夢的記憶和過程。
二○一二年底,三昧堂接受龍圖騰文化公司的邀約,前往參加在北京舉辦的「國際動漫博覽會」,擔任台灣館的主題展演嘉賓,因著這個緣分,出版圖書的念頭有了
眉目。而龍圖騰文化強力的企畫,讓三昧堂在北京展覽會上掀起一股風潮,也打響了台灣原創布袋戲文化的名聲。良好的互動與合作默契,加上龍圖騰文化公司羅愛
萍副總經理的提攜,這本書就如水到渠成般應運而生了。
一縁で無数の夢が叶う
何年前、三昧堂のみんなが一緒に遊んだとき、アンちゃんが一つの問題を提出した:自分が死んだあと、どのでく(木偶)と埋葬しますかって。みんなは”ガ
ン”として考えに詰め込んだ。その後は激しい討論を展開した。みんなが決められないとき、アンちゃんが“そうであれば、本を出してみんなの愛するでくを全
部のせて、悩むことがないじゃないですか?”と言った。
その時はただの冗談ことばで、みんなも真剣にしなかった。2010年李明(リーミン)先生が三昧堂のために、嘉義(カギ)文化局の展覧会の申し込むの許可
をもらった時、その半年の準備で、全員が展覧のために動き始めだ。そのとき、僕が“アンちゃんが設計図を書き、Kちゃんが造型をやり、永昇(ヨンセイ)さ
んが武器を作り、阿維(ウェーちゃん)が服を製造し、建軒(ジェンシェン)さんがナレータをやり、多多(トートー)さんが木偶遣いを担当し。みんなが自分
の専門で三昧堂のために努力します”。僕は何をすればよいのですかと考えた。それで、三昧堂の創作ストーリを記録始めた。
そのときの僕が、そう思う:これらのでくの創作はユニークで僕たちの友情の証明だ。もしある日、本になることが実現すれば、何年、何十年以後、僕たちの子供あるいは子孫が僕たちの強く友情、そして僕たちの狂う夢とそれを叶うプロセスを見証することができる。
2012年末、龍圖騰(ロンツゥトン)の誘いを受けて、北京にある「国際アニメ展覧会」に台湾館の主のゲストとして参加した。この縁で、本を出版するアイ
デアも始まった。龍圖騰の強力的な企画で三昧堂が北京の展覧会でウェーブになり、台湾のオリジナルのでく文化を広がる。よいやり取りと合作の黙契により、
さらに龍圖騰の副マネジャー、羅愛萍(ローアイピン)さんのおかげで、この本も順調に出版されった。
創作是理想,傳藝分享亦如是
既然各種因緣福分匯聚,促成我們完成這個出書的夢想,對於書籍內容,除了記錄三昧堂開創奮鬥的熱血故事外,我們還有好多好多想要與同好一起分享的「行內」事。
比方每一個剛進偶圈的新手,都有過一段需要繳大量補習費的摸索期,好不容易省吃儉用存錢買的木偶,和本尊長相有很大落差;
木偶有一點小問題(如手布縫線斷了)就要大老遠跑去精品店送修; 搞不清楚原雕是什麼意思; 不會看雕刻師的手路或是偶衣的原版布;
更慘的是被不肖賣家誆騙是片場副尊或是從特殊管道取得的偶,結果花了大錢只買到等級一般的普通木偶。
我們七個人都經歷過這一段慘烈的收偶新手陣痛期,好在後來遇到很多好心的偶界前輩和我們分享收偶經驗和自己動手保養、維修木偶,以及自己製作兵器和造型的
方法,才讓我們省下很多金錢和時間,更重要的是,因為這些分享,讓原本僅僅是玩家的我們,逐漸成長為達人級的木偶創作團隊。本著取之於善眾的心理,我們希
望可以將從前輩那裡習得的知識和本事,融合我們這些年創作的經驗,分享給準備入行,或者才剛入行的偶界朋友們,讓他們藉此可以少走一些冤枉路。
所以在這本書裡,我們收編了自己繪製設計圖、製作造型、縫製偶衣、製作兵器道具、操偶演出以及自行保養維修木偶的經驗分享。我們希望透過這些分享,讓更多
人來接觸木偶、喜歡木偶,並更進一步領略創作木偶的樂趣。對我們來說,這不光是一種同好間的技藝分享,也是種傳藝的使命。
創作は理想であり、伝統芸能のシェアーもそうであり
いくつの縁が集まるため僕たちの本を出す夢が叶えた。その本の内容で、三昧堂の戦うストリーを記録する以外、同じ好みがあるみんなと話したい「プロのこと」がある。
例えば、でく業界に入ったばかりのビギナーが、みんな大勢のお金を出す“探索期”があり、難しく貯金して買って来たでくは本物とゼンゼン似てない;でくが
ちょっと問題があるとき(手の縫い糸が切ったなど)、遠い買う店に行って修繕しなければならない;“原彫”ってどういう意味がわからない;彫刻師のクセと
かでくのオリジナルの織物が分別できない;もっとやばいのは悪い売人が特殊な方法で取ったでくで騙されて、ただの普通のでくをとても高い値段で購入するこ
と。
僕たち7人はみんなそういう時、そういうことを経歴した。幸いにたくさんのこの業界の先輩と彼らがでくをメンテナスと修正し、武器を製造し、造型をする経
験について話して、みんながお金と時間をセーブした。もっとも重要なのは、これらの話でただのアマである僕たちがだんだんプロのでこ製造者になった。僕た
ちは先輩からもらった知識と工夫と、この何年間僕たちの創作の経験を集めて、でこ業界に興味がある人と入ったばかりの友たちに紹介して、少しでもショット
カットへ進むことだ。
だから、この本に僕たちの設計図を描くこと、造型をやること、服を縫うこと、武器道具を作ること、でこを操作することとメンテナスの経験を載せる。僕たち
がこのシェアーを通じてもっと多い人たちがでくを接触し、でこが好きになり、さらにでこを創作する楽しみがわかる。僕たちにとって、同好との技術交流であ
り、伝統技能を伝承する使命でもある。
動人的是木偶本身,也是創作者的熱血和堅持
我們幾個來自士農工商、背景迥異的玩家會聚在三昧堂,是因為彼此從小都對木偶有共同的狂熱和興趣,是因為有這樣一群好朋友一起玩木偶才有三昧堂,也是因為偶界前輩與眾家好友的欣賞和支持,三昧堂才有今天。
我們一直在往前走,也一直在回顧檢討自己。我們尊重彼此的意見,不管是生活還是工作層面,我們也有共識要一直保持創作的執著與初心,因此任何三昧堂的決策或新方向,如果會影響到我們創作木偶的初衷,那就會被否決。
例如之前有前輩建議我們,可以多做一些更討人喜歡,更讓人想買的木偶角色,以稍稍減緩三昧堂的財務赤字,不過小安和小k都堅持:「我們是為了創作才做三昧堂木偶,不是為了木偶好賣而創作。」
玩布袋戲是為了讓自己開心,而我們七個人在一起玩木偶的過程很愉快,三昧堂的木偶受到大家的讚賞和喜愛時,我們也很有成就感,這是三昧堂得以一直創作不輟的動力所在。
人を感動させるのはでこ自身、それも創作者の熱情を持続
僕たちのいろんな職業、異なる背景のアマがみんな三昧堂に集まるのは小さいころから、でこに対し情熱と興味があること。このようないい友たちがいるこそ、三昧堂があることです。でこ界の先輩とみんなの賞賛と支持がある限り、三昧堂が今日のところに歩いて来た。
僕たちが前に進む同時に自分を検討する。お互いの意見を尊重し、生活でも仕事でも。みんなも創作の初心をキープする意見がある。どの決定や新しい方向も、でくを創作する初心に影響があれば否定される。
例えば、この前、ある先輩が”三昧堂の赤字を改善するために、人に好きられる買いたいキャラクターを創作すれば?“とコメントを出した。けど、アンちゃんとKちゃんが「創作のために三昧堂のでこを作ること、でこの売り上げのために創作することではない!」と主張する。
布袋戲(ブーダイシー)をするのは自分が楽しむためだ。僕たち7人が揃ってでこをやるのは楽しい。三昧堂のでこがみんなの賞賛と愛をされたとき、僕たちも達成感がある。それは三昧堂が創作を続く力だ。
前進前進,為了理想也有使命
布袋戲是台灣的文化資產,也是國人網路票選的「台灣意象」代表,近年來有愈來愈多專家學者開始重視這份資產,並致力於鄉土藝術教育的教學。三昧堂的自創木
偶走的是創新路線,以誇張的宮廷流、東洋風與時尚系等各種風格相結合,玩創意的過程也不忘文化的接缽與傳藝。所以無論造型與偶衣再怎麼華麗與誇張,都仍能
由單人操偶演出,仍然是台灣的布袋戲。
從玩木偶到自創木偶,從自創木偶到推廣台灣布袋戲鄉土藝術,我們行進的方向,一半是興趣使然,讓命運推送,另一半,則是我們發展到一個程度後,自覺性地體認到自己可以,也應該要做得更多。
三昧堂自成軍以來,每次展覽我都大力宣揚:不要與偶有距離。最早這是一種行銷考量,為的是讓三昧堂有更多的曝光、更廣泛的宣傳;
日子久了,我們認為這個想法是對的,除去行銷效果,這個決定讓我們間接為文化推廣盡了一份心力。畢竟布袋戲曾是台灣民眾生活的一部分,即便現在精緻創意將
逐漸形成主流,也不應該把台灣人的傳統藝術束之高閣,變化成只能遠觀的案頭欣賞。依照我們自己的經驗,只有零距離的接觸與相處,才能玩味台灣鄉土藝術的精
髓。
接下來,三昧堂除了持續創作外,也將在各場展演中自負台灣布袋戲文化推廣大使的任務,用各種方式、各種面目與大眾見面。不管是大朋友還是小朋友,當你們看到三昧堂,儘管上前來,讓我們代為引見,與我們的木偶熱情擁抱。
前に前に、理想のためにも使命だ
布袋戲(ブーダイシー)は台湾の文化資産であり、国人がインタネットで投票した「台湾イメージ」の代表でもある。この数年間ますます専門家や学者がその資
産を重視しはじめで、地方芸術の教育に力を出す。三昧堂のオリジナルのでくも革新スタイルで、派手なパレス系、東洋風とファッションなど各スタイルを結合
する。アイデアを革新しても文化の接触と伝承も忘れない。だから、でくや服がどんなに派手になっても一人で操作することができる。台湾の布袋戲に間違いな
い。
でくを遊びからでくを創作するまで、でくを創作するから台湾布袋戲を広めるまで、僕たちが進む方向は半分が自分の興味のため自然のながれで、半分はある程度になって自分がそうしなければならないと自覚するから。
三昧堂が成立してから、毎回の展覧会で僕がそう言った:でくと距離がない!最初は販売の視点からだ。三昧堂の名前がもっともっと広がる。時間の流れで、僕
たちはこの想いが正しいと思う。販売の効果を除いて、この決定は間接に僕たちが文化を広める力になる。布袋戲は台湾大衆の生活の一部分だった。ブティック
が主流文化である今に、台湾人の伝統芸能を棚上げし、ただの見ることになるべきじゃない。僕たちの経験により、直接の接触と付き合いで台湾の地方芸術の核
心がわかることだ。
これから、三昧堂は創作を続くて、各展覧と演出で台湾布袋戲文化を広める大使として、いろいろな面と方式でみんなと会う。大人でも子供でも、三昧堂を見るときに、遠慮しなくて僕たちのでくとBig Hugしよう。
三昧群英,感念在心
我常說,三昧堂令人自豪的除了是源源不絕的創作力與作品,三昧堂的每一天,也是我們七個人友情的見證。而今,在我們籌備出版作品集的過程中,我們又有更深刻的體會: 三昧堂不只有七個人,而是一大群好朋友們的友情見證!
這本書可以順利出版,除了要感謝提攜我們的龍圖騰羅愛萍副總經理,還有以下的志工群:
みなさんへの感謝を心に
僕がよく言う、三昧堂の誇りは切がない創作力と作品のほかに、三昧堂の毎日は僕たち7人の友情の証明である。今、僕たちは作品集を出版するプロセスでもっと深く体験があり:三昧堂は7人ではなく、たくさんの友たちの友情の証明だ!
この本が順調に出版され、龍圖騰の副マネジャー、羅愛萍(ローアイピン)さんにとても感謝する。また、以下のボランティアに感謝を:
展覽攝影:
大力叔叔、月凌、艾莫、葉書瑋、無糖梅綠、賴泳妤、戲偶人生、闕志丞
寫真攝影:
大叔、千年、月凌、月無痕、艾莫、成冠軍、林茂盛、星巴克、侯冠宇、悅小洲、張家斌、晴天、曾信偉、楊真誌、落葉微黃、鳳凰鳴、劉穎文、蔡坤龍、賴泳妤、憲緻極、霜靈、蕭明哲
攝影與活動協助:
Jim、子龍、王朝民、李靜如、林家平、吳孟容、吳翊寧、林芸汝、林義淵、林奎協、施文迪、姜智承、郭宜蓁、許明益、陳一男、陳威伶、陳勇誠、陳嘉琪、陳泰成、曾永吉、楊智堯、葉書瑋、廖俊宇、廖惠玲、劉佳誼、劉美蘭、賴怡婷、賴建志、謝嘉凌、蘇晏逸、蘇軒賓、嚴友駿
造型協助:
洪志偉、黃皇霖、龔詩欽
偶衣協助:
李建興、邱英綺、邱美鳳、余美娟、林瑩姿、官家賢、徐立倫、陳鏘玉、陳金凰、郭宜蓁、潘宇祥、鄭逸綾、鄭慧英、緣繡坊
偶頭協助:
洪裕傑、蔡承宏、戴志岳(丘山)、蘇軒賓
兵器協助:
河馬、信一、陳志偉、超人
Q圖繪製:
三鬼
P.S.後面攝影群因為都是名字,我就暫時跳過
文章定位: