人は、知らず知らずのうちに、自分を虐げてしまう行動をすることがよくあります。それは、直接的に自分を虐げてしまうことではなく、間接的に虐げてしまう、結果として自分自身を追い込んでしまう行動です。もっとわかりやすく言えば、自分の利益を追求して、自分が楽になるように、自分たちが得をするように、人に先んじて努力しても、その努力の結果が、もっと自分を追い詰めてしまう、そんなことがあります。
昔の映画に、大脱走、(台湾では大逃亡かな)という映画があります。ヨーロッパでの連合軍捕虜の脱出行の話ですが、この話の中で、最初の方で、連合軍捕虜がサボタージュをしたり、破壊工作をしたりして、捕虜収容所長を多いに困らせるところがあります。ちょっと気の弱い収容所長は、「私を困らせても、何も解決しない。」といいますが、言葉でもやり込められます。結局、その収容所長は、きちんと管理できない、という罪で、降格されて最前線に送られてしまいます。捕虜たちは自分たちの行動の成果に喜びます。ところが、新しい収容所長は、前所長よりずっと狡猾で厳しく、捕虜たちの行動は以前よりはるかに制限されることになります。
映画のプロットとは関係のない部分で、あまり気にされないことですが、この映画を見るたびに、いつも考えさせられます。
北陸のほうの小さな工場の話ですが、景気が余りよくなくなったころ、毎年配っていた年末のお菓子を配るのをやめることになりました。すると、社員の人たちは、「まあ、しかたないか。」と思っていたのですが、パートさんやアルバイトさんが、「お菓子を配れ!」という運動を始めました。毎年もらっていたお菓子、楽しみにしていたのにどうして今年はもらえないのか、と、大きな声で言いはじめました。すると、社員の人たちも、なんとなくもらえるのならもらいたい、という気持ちが強くなり、「お菓子ください」運動を広めていきました。会社側も、大きな盛り上がりになったので、やりくりしてお菓子を配りました。ほかのことについてもそうでした。お昼の補助を下げる、親睦会の補助金を止める、そういったことに、毎回パートさんたちがまず先頭になって声をあげ、待遇改悪を防いでいきました。一時は、新聞やテレビでも、「パートさんたちが力を合わせて、待遇が悪くなるのをストップした。」と、また、企業改革にもパートさんが中心になっているとかで、話題になりました。ところが今では、話題にもなりません。なぜなら、結局、合理化ができなかったその工場は、価格競争についてゆけず、結局タイへ移った。パートさんは文句を言いながらも、次の仕事を探しましたが、レイオフされた社員は、どうしてよいかわからなくなってしまいました。お菓子を手に入れて、仕事をなくしてしまったわけです。
話題になった会社なので、新聞でも2-3行、仕事がなくてたいへんですが、がんばっていきます(社員談)という記事が載りましたが、それっきりどうなったか知りません。
思わぬところに思わぬ落とし穴があるのが人生なのかもしれません。ある意味では、運命として受け入れなければならないことも、結構たくさんあるのでしょうね。
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