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2010-01-07 12:35:24| 人氣304| 回應0 | 上一篇 | 下一篇

日本雑感(七)

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*最近大人向けの山川の日本史と世界史の教科書が人気だと聞いてびっくりしました。

 

「歴ドル」と日本社会の「閉塞感」:

 

私の友人は、昨今の日本の歴史ブームについて、次のような問題があると感じているそうです。

ナショナルな欲望

男らしさの問題

オタク的知の問題

女性にブーム~「かわいい帝国主義」、「心地よいアジア」

 

今の日本史ブームから、「オタク的知の問題」を感じるというのは、私も同感です。日本の新聞やテレビを見ていて、こういう雰囲気を強く感じるのです。それはどういうことかというと、幕末の歴史にとても詳しくなるということに情熱が傾けられるけれど、枠の外のものに対しては全く関心がないということです。このような風潮から、強い排他的な雰囲気を感じるのです。

もちろん、そういう枠組みの中で楽しく知的に豊かな生活を送れるのだとしたら、それはそれで良いのかもしれません。でも、マスコミが全力を挙げて日本に暮らす人々の知的枠組みを狭く限定してしまおうとしていることに、私は不安と苛立ちを感じます。現に、マスコミは、日本社会に閉塞感が蔓延しているとさかんに言い立てています(これはもうかれこれ20年近く言い立てられていることですが)。私も日本社会に蔓延する閉塞感に耐えられず日本を飛び出しのですが、今回帰ってきて、「私が『実感していた閉塞感』とは一体なんだったのだろう?本当にそんなものは存在していたのだろうか?」と考えるようになりました。

確かに景気が悪くて、みんな仕事がなくて、貧困層が激増してといったニュースが多いとは思います。そして、そのことで苦しんでいる人もたくさんいるのかもしれません。でも、地方都市にいると、「暗いニュース」も「閉塞感」もひょっとしたらマスコミが作り出したものにすぎないのではないか、と感じるのです。私の父母も親戚も20年前のバブル最盛期のころから現在まで、ライフスタイルは変わっていません。浮きも沈みもなし、です。40年前と比べたら、農業、牧畜業、養蚕業が著しく衰退していることが分かります。でも、ここには、東京郊外住宅地やその近隣にある商業地で強く感じるような閉塞感はありません。私の故郷では、お金を稼げるときは稼ぎ、稼ぎが悪くなっても必要な食料は自分たちで生産し、ちゃんと新鮮な野菜を豊富に使った食事をしています。デザートの果物だって、みんなでおしゃべりしながら飲むお茶だってちゃんとあります。雨露をしのげる家があって、長年培ってきた人間関係があってこれ以上、一体何が必要なのでしょうか?このようなシンプルな生活を維持していく、楽しむことができれば、景気が悪くなっても、株価が下落しても、GDPがマイナスになっても閉塞感を感じることなく暮らせるのではないでしょうか。

もちろん、このようなシンプルな生活を楽しむ姿勢をもっていても、閉塞感を感じることはあるでしょう。でも、それは、「お金がなくて欲しい物が買えない」ことからくる苛立ちや閉塞感ではありません。そうではなくて、閉塞感を打ち破る鍵は、ひとえに読書にあると思うのです。私たちの既存の枠組みの外で考えられたこと、体験されたことを読書を通じて知ることこそが、私たちの生活を豊かにし、既存の枠組みにとらわれているからこそ閉塞感をもつのだということを、私たちに教えてくれるのです。

話が「歴ドル」からずいぶんそれてしまいました。歴史がブームになること自体、別に悪いことではないのでしょうが、歴史を学ぶことが「他者(外国人でも過去の人でも良いのですが)の視点を学ぶことにつながらず、単に「やっぱ日本って良いよね」(プチナショナリズムですかね?)と慰めあったり、オタク的知の量を他人と競い合うことに血道をあげたりするだけでは、今までと異なった視点で日常生活を見直せるようになるのは難しいでしょう。日本にいても台湾にいても常に感じるのは、私に今できることは、マスコミとは違った視点で、従来とは違った視点で自分の生活空間を眺めてみること、主流の価値観では見逃されている良さを再発見し、そのメンテナンスに自らも参加することだと思うのです。

台長: 雪子
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