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2006-08-23 22:39:36| 人氣860| 回應9 | 上一篇 | 下一篇

弱者の糧:太宰治

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弱者の糧
太宰治

 映画を好む人には、弱虫が多い。私にしても、心の弱っている時に、ふらと映画館に吸い込まれる。心の猛っている時には、映画なぞ見向きもしない。時間が惜しい。
 何をしても不安でならぬ時には、映画館へ飛び込むと、少しホッとする。真暗いので、どんなに助かるかわからない。誰も自分に注意しない。映画館の一隅に坐っている数刻だけは、全く世間と離れている。あんな、いいところは無い。
 私は、たいていの映画に泣かされる。必ず泣く、といっても過言では無い。愚作だの、傑作だのと、そんな批判の余裕を持った事が無い。観衆と共に、げらげら笑い、観衆と共に泣くのである。五年前、千葉県船橋の映画館で「新佐渡情話」という時代劇を見たが、ひどく泣いた。翌る朝、目がさめて、その映画を思い出したら、嗚咽が出た。黒川弥太郎、酒井米子、花井蘭子などの芝居であった。翌る朝、思い出して、また泣いたというのは、流石に、この映画一つだけである。どうせ、批評家に言わせると、大愚作なのだろうが、私は前後不覚に泣いたのである。あれは、よかった。なんという監督の作品だか、一切わからないけれども、あの作品の監督には、今でもお礼を言いたい気持がある。
 私は、映画を、ばかにしているのかも知れない。芸術だとは思っていない。おしるこだと思っている。けれども人は、芸術よりも、おしるこに感謝したい時がある。そんな時は、ずいぶん多い。
 やはり五年前、船橋に住んでいた頃の事であるが、くるしまぎれに市川まで、何のあてもなく出かけていって、それから懐中の本を売り、そのお金で映画を見た。「兄いもうと」というのを、やっていた。この時も、ひどく泣いた。おもんの泣きながらの抗議が、たまらなく悲しかった。私は大きな声を挙げて泣いた。たまらなくなって便所へ逃げて行った。あれも、よかった。
 私は外国映画は、余り好まない。会話が、少しもわからず、さりとて、あの画面の隅にちょいちょい出没する文章を一々読みとる事も至難である。私には、文章をゆっくり調べて読む癖があるので、とても読み切れない。実に、疲れるのである。それに私は、近眼のくせに眼鏡をかけていないので、よほど前の席に坐らないと、何も読めない。
 私が映画館へ行く時は、よっぽど疲れている時である。心の弱っている時である。敗れてしまった時である。真っ暗いところに、こっそり坐って、誰にも顔を見られない。少し、ホッとするのである。そんな時だから、どんな映画でも、骨身にしみる。
 日本の映画は、そんな敗者の心を目標にして作られているのではないかとさえ思われる。野望を捨てよ。小さい、つつましい家庭にこそ仕合せがありますよ。お金持ちには、お金持ちの暗い不幸があるのです。あきらめなさい。と教えている。世の敗者たるもの、この優しい慰めに接して、泣かじと欲するも得ざる也。いい事だか、悪い事だか、私にもわからない。
 観衆たるの資格。第一に無邪気でなければいけない。荒唐無稽を信じなければいけない。大河内伝次郎は、必ず試合に勝たなければいけない。或る教養深い婦人は、「大谷日出夫という役者は、たのもしくていいわ。あの人が出て来ると、なんだか安心ですの。決して負けることがないのです。芸術映画は、退屈です。」と言って笑った。美しい意見である。利巧ぶったら、損をする。
 映画と、小説とは、まるでちがうものだ。国技館の角力を見物して、まじめくさり、「何事も、芸の極致は同じであります。」などという感慨をもらす馬鹿な作家。
 何事も、生活感情は同じであります、というならば、少しは穏当である。
 ことさらに、映画と小説を所謂「極致」に於いて同視せずともよい。また、ことさらに独自性をわめき散らし、排除し合うのも、どうかしている。医者と坊主だって、路で逢えば互いに敬礼するではないか。
 これからの映画は、必ずしも「敗者の糧」を目標にして作るような事は無いかも知れぬ。けれども観衆の大半は、ひょっとしたら、やっぱり侘びしい人たちばかりなのではあるまいか。日劇を、ぐるりと取り巻いている入場者の長蛇の列を見ると、私は、ひどく重い気持になるのである。「映画でも見ようか。」この言葉には、やはり無気力な、敗者の溜息がひそんでいるように、私には思われてならない。
 弱者への慰めのテエマが、まだ当分は、映画の底に、くすぶるのではあるまいか。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/42367_15878.html

台長: 雪子
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雪子
他説他在虚弱時被電影院吸引,好像我也是,我進行憑悼儀式時,看了好幾部電影,哈哈。

私にしても、心の弱っている時に、ふらと映画館に吸い込まれる。心の猛っている時には、映画なぞ見向きもしない。時間が惜しい。
2006-08-23 23:19:43
雪子
還有我喜歡這個部分:

私が映画館へ行く時は、よっぽど疲れている時である。心の弱っている時である。敗れてしまった時である。真っ暗いところに、こっそり坐って、誰にも顔を見られない。少し、ホッとするのである。そんな時だから、どんな映画でも、骨身にしみる。

變得非常虛弱或被打敗時,我也要去看電影。
一個人去電影院看電影,對雪子來說是進行憑弔儀式。
2006-08-25 01:31:56
hayashi
關於荒謬(我忘記妳寫在哪裡,所以就留在這裡):

這一陣子常想到「人間性」這個詞。

我有認識的人,講話永遠是那麼得體,那麼冠冕堂皇,那麼無懈可擊,講了老半天卻不知道他們在講什麼(我猜那是因為他們不要讓人知道他們真正的想法以免成為弱點)。我無意也無資格說這樣是好還是不好,只是看到他們能滔滔不絕地什麼都沒講時,總令我目瞪口呆,不知道如何跟他們對話。

我比較能跟有「人間性」的人交談(這只是我個人對這個詞的詮釋),能嘲笑自己的人,不怕弱點被人知道的人,能承認自己荒謬的人。不過那是因為我自己就是這樣的人吧,哈哈!
2006-09-20 12:58:12
雪子
hayashi桑
先介紹妳《發條鳥年代紀》第一部裡的句子;

僕は笑った。「君は君の歳にしては、ときどきものすごくペシミスティックな考え方をするね」
「そのペシなんとかってどういうこと?」
「ペシミスティック。世の中の暗いところだけを取り出して見るっていうことだよ」
ペシミスティック、と彼女は何度か口の中で繰り返した。
「ねじまき鳥さん」と彼女は僕の顔をじっと睨むように見上げながら言った。「私はまだ十六だし、世の中のことをあまりよくは知らないけれど、でもこれだけは確信をもって断言できるわよ。もし私がペシミスティックだとしたら、ペシミスティックじゃない世の中の大人はみんな馬鹿よ」
(《發條鳥年代紀》第一部 日文版第二一一頁)
2006-09-20 14:41:47
hayashi
謝謝妳的介紹,尚在進行中。
2006-09-21 15:00:48
雪子
hayashi 桑:

>我有認識的人,講話永遠是那麼得體,那麼冠冕堂皇,那麼無懈可擊,講了老半天卻不知道他們在講什麼。

嗯…我到暑假之前遇到類似的狀況時,先懷疑自己語言能力,接下來懷疑自己認知能力是否有嚴重的問題。最會讓我混亂的是,使用華麗詞彙、自信滿滿、滔滔不絕說話卻完全聽不懂他在講什麼的“文青”。

我想當時教我的老師們可能多多少少受到戰後日本的一種作文教育法「生活つづり方」,所以(應該)我不習慣閱讀太“文青”風格的文章。

「生活つづり方は日本の教育の大きな財産の一つです。第二次大戦前の東北地方で生み出され、戦後は『山びこ学校』などで広く知られるようになりました。一九六〇年代には、さまざまな方向に発展していきました。解放教育運動も、この流れを受け継いで発展させてきました。一九七〇年代になると、生活つづり方運動を担ってきたひとり、国分一太郎さんが解放教育運動のなかの生活つづり方をさして、「人間つづり方」と呼びました。東北の生活つづり方運動が大切に守ってきた精神が、解放教育運動のなかで息づいているという意味だったといえるでしょう。」
http://www.meijitosho.co.jp/zasshi/shosai.html?bango=16462
2006-09-21 15:38:20
hayashi
看起來日本的教育比同時期的台灣好多了。我從小就是在八股教育下長大的,只不過我沒在聽罷了。

最近在阿潑的網站第一次看到“文青”這個詞,我猜是指文藝青年,但不確定是不是,連這個詞都不知道的我大概也看不懂很“文青”風格的文章吧!
2006-09-21 22:39:36
雪子
hayashi桑

其實日本老師的教育方法也讓我覺得很荒謬,他們鼓勵學生寫自己真實的感受,但如果學生真實的感受跟老師的意見不合,還是會被排斥。我小時候就有這種感受,總覺得老師教作文時在騙我們,後來自己當老師,我做出跟我老師同樣的事情...真的很荒謬,哈哈。
2006-09-22 11:29:24
hayashi
我第一次希望會日文是在小學的時候。
老師規定寫參考書上的數學題目時不光是要寫算式,同時還得把題目逐字地抄下來。那時我不知道日文有漢字,只知道有筆劃很少的假名,所以常在想,能用日文寫作業就好了。當然我是不懂日文的(老師也不懂),不寫作業的結果就是經年累月地被處罰。

我高中時遇到一位難得的好老師,雖然我有些怕她。每次作文課我什麼都沒寫,也什麼都沒交,她問我為何不寫,我總是說老師,我對這個題目沒有真正的感覺,我可以寫出一篇假的文章交給妳,但這樣做沒什麼意義吧!她聽了不說什麼,也不逼我寫,直到學期快結束時,使出一招「殺手鐗」,終於讓我乖乖就範,一口氣寫了一堆作文交出去。想到她能這樣的容忍我,就覺得很感謝。
2006-09-22 12:56:37
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