元福麻油廠
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醤油(しょうゆ)は、主に日本料理で使われる、大豆と小麦を原料とし、麹菌や酵母を利用した、塩味とうま味の強い発酵調味料である。正油とも書く。別名したじもしくはむらさきともいう。
東アジア、特に中国を中心とした文化において、醤油をはじめとする「ひしお(醤)」は味覚文化成立に高い役割を果たしている。
目次
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* 1 概説
* 2 醤油の物性
* 3 日本以外の醤油
* 4 歴史
o 4.1 醤油の近代史
* 5 作り方
o 5.1 基本的な製造法(本醸造・こいくちしょうゆ)
o 5.2 混合醸造方式・混合方式
o 5.3 添加物
* 6 醤油の種類と特徴など
* 7 格付け
* 8 地方による好み
* 9 醤油に関する俗説
* 10 微生物の分類
o 10.1 麹菌の分類
o 10.2 酵母の分類
o 10.3 乳酸菌の分類
* 11 醤油製造者
* 12 博物館施設
* 13 参考文献
* 14 関連項目
* 15 外部リンク
[編集] 概説
良い香りと強いうま味を持つ汎用の液体調味料。 大豆、小麦、塩を主原料として、麹菌、乳酸菌、酵母による複雑な発酵過程を経て、アルコールやバニリン等の香気成分による香り、大豆由来のアミノ酸によるうまみと、小麦由来の糖による甘みを持ち、主にメイラード反応による赤褐色を呈したものである。 主に、食品素材に対して上からかけたり、少量を浸す「つけ・かけ」用途の他、煮物の味付けにしたり、汁やたれの味のベースにしたりと、利用範囲が広い調味料である。
[編集] 醤油の物性
品質は「色」「香」「味」で評価される。高品質の醤油を製造するためには高い醸造技術・醸造管理・衛生管理・保存管理が必要となる。
* 「色」は熟成の期間や温度経過によって無色に近い淡褐色から、黒に近い暗赤褐色まで存在する。アミノ酸と糖に富むため、酸化や加熱、成分の揮発のほか、メイラード反応が進み、産生されるメラノイジンにより色は濃くなる傾向にある。淡色で赤い色調のものが良いとされ、製造/管理的に高度な技術が必要であるが、地方性により、特に濃口醤油においてはむしろ色が濃いものが好まれる場合もある。
* 「香」は、鼻で匂いをかぐときに感じる「トップノート」と、口に含んでから感じる「フレーバー」がある。香気成分の多くはアルコールをはじめとする酵母の発酵生産物であり、メイラード反応から、ストレッカー分解を経て産出される有機化合物、加熱工程にて産生される焦げ香も、醤油を特徴付ける重要な要素である。長期保存により酸化が進み、「劣化臭」といわれる臭いがつくことがある。また、製造工程における衛生管理の問題により、バクテリアによる腐敗臭や、味噌のような臭いがつくことがある。
* 「味」は、塩辛さ、うまみ、甘みを強く持つ。塩辛さは原料の塩から、うまみは主にアミノ酸、甘みは糖による。それぞれ、麹により産生されたプロテアーゼやアミラーゼ等の酵素により、主に大豆由来のタンパク質、主に小麦由来のデンプンが分解されたものである。
官能面は、「きき味」により、主に色・香・味が評価される。「色は淡色で赤みがある色調で、かつ香り高く、味が良い」醤油が品質が高いとされる。特に香について、花のような甘い香りや爽やかに鼻に抜ける香は一般的に「良い香」であるが、製品によって、生乾きの雑巾のような臭い、汗のような臭いなど「悪い香」を呈するものもある。また、「麹の香」「味噌の香」「アルコールの臭」などの中間的なものが加わる、さらに、「よい香」とされる香も強すぎると問題となるため、それらのバランスにおいて製造者ごとに特徴が出るものである。
塩分とアルコールを多く含んでいるので常温でも腐敗しにくい。ただし開封後は、極力酸素を避けて密封し、冷蔵保存することが望ましい。酸素存在下で放置すると、揮発性成分が揮発して香りが減少するほか、特に防黴剤として安息香酸が含まれない場合は、醤油液面に酵母(産膜酵母)が白く膜状に繁殖することがある。産膜酵母の実態は、醤油の主発酵酵母と同種のZygosaccharomyces rouxiiであり、いわゆる「醤油に生えるカビ」である。無害ではあるが香りは悪くなり、糖を消費するため味も劣化する。さらに、酸化によりメイラード反応が進み、色は黒くなる。 また、醸造期間にも劣化は平行して進行するため、単純に「長期醸造」が高品質というわけではない。
うすくち醤油(左)、こいくち醤油(右)
うすくち醤油(左)、こいくち醤油(右)
日本の醤油には長い歴史があり、各地で独自の風味や味わいを持つ醤油が開発されてきた。 日本農林規格(JAS)では、製造方法、原料、特徴などから、「こいくち」「うすくち」「たまり」「さいしこみ」「しろ」の5種類に分類されている。そして醤油は「しようゆ」と表記されている。
調味料を料理に用いる順番を表す語呂合わせの「さしすせそ」では、醤油は「せうゆ」として「せ」に割り当てられているが、歴史的仮名遣では「しやうゆ」と書くのが正しい。ただし、「せうゆ」という仮名遣も広く行われていたため、許容仮名遣となっていた。
[編集] 日本以外の醤油
健康食として日本食が世界各地で好まれるようになってから、醤油を世界各地で手にいれることが出来るようになった。醤油は現在100カ国以上の国に輸出されており、生産は年14万キロリットルにも達する。大手メーカでは現地生産も行われている。 一方アジアの他の国々にも醤油に似た調味料が存在し、英語では産地やタイプに拘わらず "Soy sauce" と呼ばれているが、必ずしも日本の醤油と味や製法が同じであるとは限らない。
中国にも大豆から作る「醤油 jiàngyóu」がある。 物性的には、色調は黒いが、中華料理における醤油の用途は、香りや味より、むしろ色づけに重点を置いている。カラメル等を加え、どろっとしてマイルドな「老抽」、塩が立って色が淡めの「生抽」がある。
大韓民国ではカンジャンと呼ばれる醤油がある。カンジャンも、日本の醤油と比較して色調が黒めで、主に他の調味料とブレンドし、ヤンニョムとして利用することが多い。また、日本と同様に刺身に「つけ・かけ」用途でも用いる。
インドネシアでも、歴史的に大豆を原料とした液体調味料が使われている。代表的なものとしてケチャップマニス(Kecap manis, manis=「甘い」)、ケチャップアシン(Kecap asin, asin=「塩辛い」)が用いられている。ケチャップマニスは、物性的には、色調が黒く、甘辛くどろっとした調味料である。ケチャップアシンは、比較的色が薄く、塩が立つさっぱりした調味料である。
タイでは、一般的に魚醤であるナンプラーがよく使われているが、大豆から作られた醤油、シーユーも、炒め物の味付けなどに使われる。甘味があるシーユー・ダムと、辛口のシーユー・カオが一般的。
かつて日本人が多く移民し、現在も日系人が多数在住しているハワイでも独自の醤油が生産されている。日本の醤油の系統に属する味ではあるが、大豆の風味が薄くさらっとした塩味になっている点が特徴である。
[編集] 歴史
醤油は醤(ひしお)の一種である。醤は、広義には「食品の塩漬け」のことを指し、その素材により、
* 肉の塩辛は「肉醤」(ししびしお)
* 魚の塩漬けは「魚醤」(うをびしお)
* 果物や野菜の塩漬けは「草醤」(くさびしお)
* 穀物の塩漬けは「穀醤」(こくびしお)
と呼んで区別される。 たとえば、「うおびしお」(魚醤(ぎょしょう)と区別するため、ここでは「うおびしお」と表記する)は、イカや魚の塩漬けであり、イカの塩辛なども「うおびしお」の一種である。 また、「くさびしお」は、現在の「漬物」が該当する。 そのため、日本における醤の起源は、魚や植物を塩漬けにして保存した縄文時代まで遡ることができる。
醤油は麹を用いて製造することが特徴である。麹を用いた発酵食品は中国を起源として、5~6世紀頃に中国で作られ、その技術が日本に持ち込まれたものであると考えられる。
紀元前8世紀頃の「周礼」で、「醤」という漢字が初めて使われた。この醤は肉の塩漬けであったようである。
500年頃の中国の『斉民要術』に、現代の日本の醤油に似た醤の製造法が記述されている。
日本では701年の「大宝律令」に、醤を扱う「主醤」という官職名があり、この時代は既に日本に醤があったとされる。
923年公布の「延喜式」には醤製造に関する言及があり、この時代、京都には醤を製造・販売する者がいたことが分かっている。
現在の醤油の直接の起源とされているのは金山寺味噌である。 伝承によれば、13世紀頃、南宋鎮江(現中国江蘇省鎮江市)の金山寺で作っていた、刻んだ野菜を味噌につけ込む金山寺味噌の製法を、紀州(和歌山県)の由良興国寺の開祖法燈円明國師(ほうとうえんめいこくし)が伝え、湯浅周辺にも金山寺味噌作りが広まった。この味噌の溜(たまり)を調味料として使うとおいしいことを発見したことから、液体の醤油作りが始まった。この「たまり」が、現代につながるたまり醤油の原型とされている。これに関しては伝承のみで、当時の文献や証拠品による裏付けがないが、ある程度以上には真実を含んだ伝承だと考えられている。
しょうゆという語は15世紀ごろから用例が現れる。1470年頃の「文明本節用集」に、漿醤に「シヤウユ」とルビが記載してある。1597年、「易林本節用集」という辞書で、はじめて「醤油」という語が使われた。(ただし、『鹿苑日録』1536年の日付の記述の中に既に漿醤という語が、山科時継の日記『言継卿記』の1559年の記述に「シヤウユウ」という語が、『多聞院日記』1568年十月二十五日の記述に「醤油」という語が既に使われているという指摘もある)
日本国外への輸出は1647年にオランダ東インド会社によって開始された。伝承によればルイ14世の宮廷料理でも使われたという。フランスでの日本産醤油に関する記述は、『百科全書』(1765年)に現れる。ちなみに当時の記録によると腐敗防止の為に、醤油を一旦沸騰させて陶器に詰めて歴青で密封したのだという。用いられたビンは「コンプラ瓶」と呼ばれた陶器の瓶であり、多数が現存する。
江戸時代初期までは、日本の醤油の主流はたまり醤油であった。しかし、たまり醤油は製造開始から出荷まで3年かかり、生産量が需要に追いつかなかった。人口が増加し、食品の大消費地になっていた江戸近辺で、1640年代頃の寛永年間に、1年で製造できるこいくち醤油の生産が開始された。
うすくち醤油は、1666年、現在の兵庫県で、円尾孫右兵衛によって開発されたとされる。
上記のとおり、中国で生産されていた醤、醤油の製法が日本に伝えられ、日本での製造が始まったという説が有力ではあるが、弥生時代に食塩に漬けておいた食品に天然酵母がとりついて醤に似た食品が生まれ、ここから醤油が中国とは別個に発明されたという説もある。
[編集] 醤油の近代史
明治以後、醸造技術及び企業形態の近代化が進む一方で、醤油が生活必需品である事に目をつけた政府によって明治から大正にかけて醤油税が導入されていた。
戦後、醤油は危機的状況にあった。戦中戦後の食糧難に伴い主原料である大豆の醤油製造への配給が滞り、本来の醤油を作ることが出来なくなったのである。連合国軍最高司令官総司令部が醤油の重要性を理解せず、大豆を酸で加水分解した方が効率良く製造できると指導してきたという逸話も残っている。そうした大豆の加水分解液を醤油に利用する手法が戦後しばらくの間続けられ、本来の醤油の味が忘れられていった。そうした中で、正しい製造方法による醤油作りの復活が大手メーカーを中心に芽吹き始め、景気回復と共に本来の美味しい醤油が食卓に戻った。現在では、アミノ分解法等の製法は、ほとんど用いられていない。
一方、日本人の洋食化・核家族化が進むと共に和食が調理される機会が少しずつ減少していることに加え、過去は家庭で作られていた「めんつゆ」や「割り下」等が、家庭向け製品として購入されているため、醤油自体の消費量は減少傾向にある。それと同時に日本人海外渡航者数の増加や、海外における日本食のヘルシーイメージの浸透など受け、醤油の輸出量が徐々に増加していった。これに目をつけたキッコーマンがアメリカ合衆国に海外工場新設を決断。その後も海外での醤油消費量は伸び続けている。
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