いつ書いたか覚えがない話ですが、
一年くらい前かと思います。
プロットは単純ですが、
読み返してわりと好きな話なので、
載せてみます。
推敲前なので、
荒い文章ですが悪しからず。
※ 囮姫の帰還
「あなたは、本当は強かったのですね。」
美玲は、許玄の背につかまったまま、ポツリと誰にともなく呟いた。
許玄の背は、思ったよりも広かった。麻の薄い着物を通じで、彼の体温が伝わってくる。それから髪の匂いに、強い汗の匂い。そして、先ほどの争いで傷を負ったのだろうか、血の匂いもする。でも橋を渡ってゆくしっかりとした足取りは、背負われている美玲にも伝わってくる。
暖かさと安心、美玲は兄の背中を思い出していた。
彼の背は、兄よりもっと温かかった。美玲は、この背中を独り占めしたくて仕方がない気持ちを自分の中に感じ、この背中の持ち主への想いを新たにしていた。
「許玄さん、何かへんな匂いがしませんか?」
美玲が川面を渡ってくる風の匂いをかいでいった。
「ああ、メイメイ、これは、海の匂いだ。」
「うみ?」
「ああ、この川は、この城街の反対側に回り込んで、それから10里くらい流れてから海に注いでいる。」
「うみ、ですか。」
「ああ、海だ。」
許玄は、美玲の言葉を繰り返してから、ゆっくりと微笑んだ。
石造りの橋の向こうには、城門が開き、その城門を挟んで高い櫓が二つ。そして、その両側には、ずっと春の霞に朧になるまで、城壁が続いている。川面から城壁に取りすがるように、緑の土手が続いており、白い花がちらほらと咲いているのがここからでも見える。
橋の上には、城下へ入る人、出てくる人、いろいろな姿の人がすれ違ってゆく。
西国の服装をした一団が、娘を背負った許玄を不思議そうに眺めてゆく。一団には、髪の金色の娘もおり、なにやら雑貨の入った籠を背負って、まっすぐ前を見て歩いていった。
城門の脇では、子供たちが地面に絵を画いて、なにやら遊びに興じている。
春の日の、うららかな午後。美玲には先ほどの間道での争いが、まるで夢だったかのように思えてきた。しかし、許玄は、歩調を緩めない。そのことが、今朝方の争いが夢ではなかったことを、美玲に思い出させてくれた。
砂漠の外れ、西朝の城郭から三千里あまり、砂漠を横切り、森を抜け、山を越え、いくつもの街や村に立ち寄りながら、ようやく東城の街にたどり着いた。ここは美玲たちの目的地。そして長い旅程の終点でもあった。
あと100歩、50歩となっても、許玄は歩調を緩めない。城門が大きく目の前に立ちはだかり、入城警備の兵たちの前に来て、ようやく彼は歩調を止め、美玲をその背からおろした。彼は懐から鑑札を出し、あわせて腰に負っていた袋から書状を取り出すと、その警備の兵に差し出した。
「帝国護民軍予備役大佐の許玄です。入城許可をお願いしたい。」
書状を確認するまでもなく、警備の兵たちは、矛を立てて蹲踞の敬礼をした。
鑑札と書状を受け取った初老の士官が、恭しくそれを確認して許玄に戻した。
「関門警備大尉の算有です。長旅お疲れ様でした。陽賢に宿を用意させていただきましたので、ごゆるりとおくつろぎください。夕刻、城よりお迎えにあがります。涼韓殿が今回の大佐のお仕事に対して、一言お礼を言いたいとのことです。」
「了解しました。」
そして、彼は美玲の方を向き、許玄にしたように礼をして、
「姫様、お疲れ様でした。後ほど、城よりお迎えがありますので、陽賢にてお待ちください。」
「あの、」
「何でしょうか?」
「照葉姫さまはお城にお入りになりましたか?」
「はい、昨日夕刻、無事にお城にお入りになりました。お輿入れのお荷物、お付の方々滞りなく。」
「よかった、」
美玲はゆっくりと微笑んだ。
「あなた様のご苦労のおかげです。」
初老の大尉は同じように微笑み、美玲をねぎらった。
「いずれにしても、しばらくご休憩ください。兵に案内させましょう。」
大尉はそう続けたが、許玄は言った。
「いや、俺はいい。腹が減ったから、どこかで飯でも食ってからにする。悪いが、この娘だけ送ってやってくれないか。」
「承知しました、では、姫様」
「もう、私は姫ではありません。オトリの仕事は終わりました。」
美玲は笑って言った。
「私も許玄さまと一緒に、城内をすこし見物します。」
大尉は微笑んだ。
「承知しました。何かありましたら、近くの兵にご連絡ください。では、東城へようこそ。」
彼らは、列を開き、矛で蹲踞の礼をしながら、二人が城門をくぐってゆくのを見送った。
門の影をまたいだところで、許玄が大きくひとつため息をついたのを、美玲は聞いた。
城門に入ると、雑踏の奥のほうから少年が走り出てきて、美玲の袖につかまった。
「小姐」
「あら、源基さん。」
「先生、遅かったじゃないですか。おいら心配で心配で、」
彼は鼻をこすりながら、ちょっと泣きそうな顔で言った。
「すまん、すまん、今朝ちょっともめたもんでな。小源、どこか飯屋を見つけたか?」
「はい、先生、評判のところを見つけておきました。」
源基は美玲の手を引きひとつの料理屋に案内した。西国料理、と看板を出したその店で、許玄は酒と肴を注文した。黙って酒を飲み肴をつまむ。美玲は彼の脇に座り、包子を食べながら、源基に今朝あったことを話す。
「西国からずっと、追っ手に出合うたびに逃げてばかりだったから、てっきり許玄さんは、合戦が苦手なのかとずっと思っていました。でも、今朝、とっても見直しましたよ。」
「へえ、おらが居たら、活躍できたのにな。」
「ええ、そうですね。」
許玄は笑って聞いている。
彼は青菜の漬物をつまみながら、茶碗からとても美味しそうに酒を呑んでいた。
美玲は、これまでの旅の一つ一つの出来事を、反芻するかのように源基と語り合っていた。語り合ううちに、美玲には、西国の城を出て出合った一つ一つの出来事が、まるで物語りのような気がしてきた。真っ白な砂漠、深い森、高い山、そして村や町、いずれもが城郭都市どころか城すら出たことのない美玲には、夢のような体験だった。そんな、夢のような経験だったが、美玲は、自分がもうあの城の中にいた少女には戻れないことも感じていた。
川のそばの柳は、春の風に静かに揺れている。商店の軒先には色とりどりの旗が掛かり、人々は忙しそうに路を急いでいる。どこからか、桃の花の匂いがうっすらと、美玲の花をくすぐる。
源基と話しをしながら、美玲の心の中に、いままでずっと考えてきたことが、だんだん形を作ってまとまってくるのを感じた。
「さて、そろそろ行こうか。」
許玄は、お茶を飲みながら言った。
「いくって、先生、どこへ行くんですか?」
「お城だ。」
「お城?」
「ああ、姫を届けねばならん。明日は婚礼だ。」
「ええ?でも先生、美姐は、姫様のおとりでしょ。」
「ああ、そうだった。」
「どうして?」
「うむ、源基、それはな、」
許玄が、源基に噛み砕いて説明しようとしたとき、美玲は言った。
「そう、私は姫様のオトリだったのよ。婚礼の行列とは別に、私は許玄さんに連れられてここまで来た。それでね、婚礼の行列の姫様は偽者で、本物の姫様は隠れて間道をやって来る。それが私。」
「じゃあ、美姐は本物の姫さまなの?」
「いえいえ、そこでね、本物の姫様は隠れて間道をやって来る、という話はやっぱり漏れてしまうから、悪い人は私をつかまえようとするでしょ。」
「うん、」
「でも、本物の本物の姫様は、やっぱり行列のお輿の中にいる、というわけ。」
「ううん、ややこしいな。それで、小姐は?」
「私は、ただの美玲よ、安心した。」
「うん、」
と言って、源基は美玲にしがみついた。
「おら、美姐が、遠くへ行っちゃうかと思って、心配した。」
「だいじょうぶよ。」
美玲は、源基の頭をなでながら言った。
許玄は、黙ってそれを聴いていたが、一度お茶を口にしてから、美玲に向かって言った。
「それで、どうする?」
美玲は、一度微笑んだ。
それから、許玄の瞳を見つめて、言った。
「私は、許玄さんの子供を産みたい。」
「なんだって?」
「あなたの子供を産みたい。」
「それは、照葉姫、何か勘違いしていないか?」
「勘違いなんかしていません。この半年の間、私はあなたとともに生きてきました。文字通り、ともに生き延びてきました。もう私はあなたなしでは生きてゆけません。」
「しかし、」
「これは、西朝国の誤算だったのでしょうね。姫はちゃんと東国に届けられた。でも、」
美玲は目で微笑んで見せた。
「はあ、」
ため息のような声をひとつ出してから、許玄は、
「すまん、酒をもう一本。」
と、店の中に向かって言った。
美玲は、許玄の目をまっすぐに見つめながら言葉を続ける。
「こういうときのために、私たちは、どちらが影武者、ということなく育てられてきました。どちらがオトリでどちらが本物か、ということはあまり関係ないのです。西朝涼帝の三番目の娘、それは私でもあり、彼女でもあります。ただ、私は父の血を引いており、彼女はそうでないというだけのことです。」
「しかし、それは、血を引いているほうが本物だということだ。」
新しい酒を注ぎながら、許玄は言った。
「そうかもしれません。でも、それを知っているのは、私と、私の両親と、そしてあなただけです。彼女自身は嫡子として育てられていますから、自分は照葉姫と信じています。オトリが自分を本当に本物だと信じているとしたら、それはなんて悲しいのでしょう。」
美玲は続けます。
「いずれにしても、西朝にとっても、東城にとっても、私でも彼女でも、それはどちらでもかまわないのです。照葉姫は東城に嫁いだ、その事実には変わりないのですから。」
「許玄さん、そんなことより私が知りたいのはあなたの気持ちです。西国の砂漠からずっと、あなたは私にやさしかった。あれほどの腕のあるあなたが、逃げて逃げて歩いたのは、私の身を案じてのことだとわかっています。旅なれない私が熱を出したときも、あなたは寝ずに看病してくれました。それはただあなたの任務のためですか?オトリ、ということで、私には荒い言葉をかけ続けていましたけど、あなたはいつも私の身を案じてくれました。あなたは私の身を案じ、私はあなたが私のためにしてくれる危険なことすべてに、あなたの身を案じていました。それは、もう夫婦なのではないですか?」
「あなたは私が嫌いですか?顔が嫌いでしたら、化粧をしてあなたの好みに近づけます。お城で育ったからわがままなのでしょうか?太った娘が好きなら、食事をたくさんとります。料理も勉強します。朝もあなたより早く起きるようにします。だから、お願い、私を嫌いにならないで。」
そこまで言って、美玲は自分の感情の高まりに驚いたように口をつぐみ、口から出てしまった言葉を恥じるようにして、目を伏せた。
「すまなかった。」
許玄は美玲の手の上に自分の手を乗せた。
「みんなで、回間に帰ろう。」
美玲は顔を上げて、許玄を見つめた。許玄は静かに言った。
「照葉姫、いや美玲、どうか一緒に来てくれまいか。」
美玲は言葉を出せずにいたが、ゆっくりと頷いた。
心配そうに見ていた源基が、包子を手にしながら、もう我慢できずに口を挟んだ。
「先生、難しい言葉が多くて、おらよくわからないけど、どういうことなの?ずっと三人で旅してきたじゃないか。喧嘩はしないでおくれよ。」
「ああ、小源、」
「なんだい、先生」
「三人で、回間に戻ろう。」
「さんにん、っていうことは、今度は美姐もいっしょだね?」
「ああ、だけど、今日は海を見に行こう。メイメイは海を見たことがないから。」
「ほんとかい、うみにはおらが連れてってあげるよ。
そうだ、美姐、先生と夫婦になったらいいよ。
美姐、先生はいい人だよ。
しってるだろ、ほんとさ。しってるだろ。
学校で二人で教えるんだ。みんな喜ぶよ、」
源基の声を聴きながら、美玲は興奮の後のふわふわした気持ちを味わっていた。
柳の枝はあいかわらず春の風にゆっくりと揺れていた。
また、さっきと同じ匂い、そう、海の匂いがした。
どこからか、笛の音が聞こえてくる。
お城のほうかしら。
ええ、そう、明日は姫様の婚礼ですもの。
おしまい。
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