先週末は、インフルエンザかノロウィルスか、知恵熱か、あるいは知恵熱かわかりませんが、金曜日の夕方から急に熱が出てしまい、土曜日曜と、天気が良かったにも関わらず、ずっと布団のなかで水とオレンジジュースだけで暮らしていました。とはいえ、風邪薬を飲んだし、幸いなことに栄養状態の良い国の国民であったためか、日曜の夜にはだいぶ熱も下がり、今朝は目の周りが腫れているものの、だいぶ良くなりました。
こんなふうに熱を出して、横になって、頭に濡れタオルを載せて、本をつまみ読みしていると、断片的な本の内容と、ぼうっとした頭が描く幻想とが一緒くたになって、不思議な世界を見ていました。いろいろと、面白い話を感じましたが、中でも面白かったのは、
※ 原子と電子の間には、あれだけの隙間がある。世の中のものは、全部が全部、隙間だらけなのに、どうして手のひらと手のひらを合わせたとき、すり抜けたりしないのだろう。※
ということです。普段は考えもしないし、理屈としてはそうではないことは理解しているつもりでも、ぼうっとなった頭はおかしなことを考えるものです。自分の頭ながら、不思議に思います。
もちろん、そんな状態の時には、「あいつは、人がやってやった仕事を、自分でやったような顔をして言う。」とか、「あれは俺のアイデアなのに。」とか、「やっぱり、会社では学閥だよな。」などは、全く考えずに、ただただ、ふわふわと気持ちの良い気分のなかで、読み散らした小説のプロットの断片や、あそこへ出かけて写真を撮りたいな、とか、仕事の話であっても、せいぜい「あの反応は、こうすればうまくいくかもしれない。」というような、まともなときには思いもつかないアイディアぐらいです。
こうして考えてみると、いつも頭を悩ませていて、最大の問題、のように考えている、仕事上の人間関係や社会的立場の問題というのは、のーみそのいちばん表面、もっともどうでもいい問題に分類されているらしい。少なくとも私自身の無意識のところではそう考えているのだと思います。たしかに、世の中の人は、私も含めて、そういった問題に傾倒注力しがちですが、ちょっと考えてみると、社会的な立場の問題など、たいして大切なことではないのかもしれません。ほんとうに大切なことは、自分とは何なのか、自分はどう生きてゆくのが良いのか、自分が好きなものは何なのか、そういったことなのでしょう。
とはいえ、熱の下がった頭では、また、のーみそのいちばん表面にある、些末なことに頭を悩ませ、イライラするのでしょうけれど。
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