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2009-04-02 10:07:12| 人氣720| 回應0 | 上一篇 | 下一篇

帝国主義、公平貿易、珈琲

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昨日は2時間半にわたり、帝国主義批判を聞かされた。講演者は、サイード、ブルデュー、ポストコロニアルなど、専門用語を繰り出し、いかに経済大国欧米、日本がインドネシアのコーヒー農家を搾取しているかを力説した。

私もサイードもブルデューも読んだことがある。ここ数日はポストコロニアル理論のさきがけとなったフランツ・ファノンの『黒い皮膚・白い仮面』も読み、昨日読み終えた。だからね、彼の言いたいことはわかる。要するに「欧米、日本は悪いことをしている」でしょう。

旧帝国が植民地を放棄した後も、旧植民地を経済的に搾取しているという説には同意するし、それを知らないで過ごすことは許されないと思う。そして、個人でできることはちっぽけなものに過ぎないとしても、やはり何らかの形で、搾取の共犯者になることを避けられるような生活スタイルを目指さなければならないと思う。

彼の言うことは正しい。でも、やはり間違っている。

彼は講演の前に、自分が販売するコーヒー豆を使って、私たちに珈琲を振舞ってくれた。しかし、彼の珈琲の入れ方の粗雑さ、いい加減さに私は目を見張った。彼の動作からは、彼が自分が苦労してインドネシアから台湾に運んできたコーヒー豆を大切にしているようには見えなかったし、講演を聴きにきた「未来の顧客」に、おいしい珈琲を味わってもらおうと考えているとは感じられなかった。

彼の学識、帝国主義批判、台湾の主体性の重視、彼の行動力、その一切について、私は心から敬意を表する。しかし、私は、彼の「おいしい珈琲を入れるための専門知識」を「帝国の知識に過ぎない」と唾棄する発言や、おいしい珈琲を入れなくちゃいけないとこれっぽっちも思っていないような粗雑な動作については、同意できない。

台湾の主体性に対する自覚は必要だろう。彼の主張は正しい。でも、彼のために平日の夜にわざわざ会場にやってきた人に、おいしい珈琲の一杯も差し出せなくて、なにが主体性なのか。私が言いたいのは「客観的な標準に基づいたおいしい珈琲」云々ではない。私が問題にしているのは、自分が選んだコーヒー豆を、集まった人によりおいしく飲んでもらいたいと努力する姿勢のことだ。

私だってコーヒー豆のことなんてぜんぜんわからない。でも、私の目の前の、私のために珈琲を入れてくれる人が「より良いものを他者と分かち合いたい」と思っている人なのか、「ただ自分の専門知識や技術を見せびらかしたい人」なのかの区別はつく。そして、私が楽しく、おいしく珈琲をいただけるのは、前者が珈琲を入れてくれたときだ。

彼は正しい。でも、間違っていると思う。

私は、「よりおいしい珈琲を他者と分かち合うために、真摯に専門性を追求している人」を軽視するような発言を繰り返すことは、やはり間違っていると思う。

 

台長: 雪子
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