我覺得「清楚地知道自己要的是什麼」的人比較幸福
他們不需要在乎別人擁有且自己沒有的是什麼
我喜歡內田樹寫的以下一段:
他者の欲望を模倣するのではなく、自分自身の中から浮かび上がってくる、「自前の欲望」の声に耳を傾けることのできる人は、それだけですでに豊かである。なぜなら、他者の欲望には想像の中でしか出会えないが、自前の欲望は具体的で、それゆえ有限だからだ。自分はいったいどのようなものを食べたいのか、どのような声で話しかけられたいのか、どのような肌触りの服を身にまといたいのか。そのような具体的な問いを一つ一つ立てることのできる人は求めるものの「欠如」を嘆くことはあっても、「貧乏」に苦しむことはない。
以下是全文:
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次はスタジオジブリの『熱風』に寄稿した貧乏論。
貧乏で何か問題でも?
最初に用語の定義を済ませておこう。
貧困は経済問題であるが、貧乏は心理問題である。「意味の問題」と言うこともできるし、「関係の問題」と言うこともできる。とりあえず数字で扱える問題とは次元が違う。
日本ではおおざっぱに世帯の年間所得が200万円以下だと「貧困」に類別される。だが、年収2万ドル弱というのは、世界的に言うと、かなり「リッチ」な水準である。日給240円のニカラグアの小作農は年収87600円である。「絶望的な貧困」と申し上げてよろしいであろう。この場合は、どのような個人的努力を積み重ねても、どれほど才能があっても、小作農の家に生まれた子供はその境涯から脱出することがほとんど不可能だからである。
一世帯年収200万円はその意味では「絶望的な貧困」とは言えないであろう。その世帯の支出費目に教育費が含まれており、収入が主に企業内労働によって得られているなら、それは世帯構成員たちがこの先、個人的努力によって知的資質や芸術的才能を開発したり、業務上の能力を評価されて昇給昇進するチャンスが残されているということを意味するからである。これは小作農的な「出口のない貧困」とは別種のものである。
だから、日本で社会問題になっているのは貧困ではなく、貧乏であると考えた方がよい。
屋根のある家に住み、定職を持ち、教育機会や授産機会が提供されており、その上で相対的に金が少ないという状態は「貧困」とは言われない。あちらにはベンツに乗っている人がいるけれど、うちは軽四である。あちらにはGWにハワイに行く人がいるのに、うちは豊島園である。あちらにはシャトー・マルゴーを飲んでいる人がいるのに、うちは酎ハイであるという仕方で、所有物のうち「とりあえず同一カテゴリーに入るモノ」を比較したとき、相対劣位にあることから心理的な苦しみを受けることを「貧乏」と言うのである。
近代以前には、この種の貧乏は存在しなかった。農民が大司教の衣装と自分の衣服を比較して恥じ入るとか、猟師が王侯貴族のような城館に住んでいないことを苦しむというようなことは起こらなかった。生物学の用語を用いていえば、「エコロジカル・ニッチ」(生態学的地位)が違っていたからである。鼠が象を見ても「あんなに大きくなりたい」とは思わないのと同様である。
貧乏は「人間は生まれながらにして自由かつ平等の権利を有する」と宣言した『人権宣言』によってはじめて公式登録された。生まれながらに平等であるはずであるにもかかわらず、権力や財貨や情報や文化資本の所有において現に個人差がある。それを「苦しみ」として感じるのが「貧乏」である。だから、貧乏は近代市民社会とともに誕生したのである。
貧乏とは、私が端的に何かを所有していないという事実によってではなく、他人が所有しているもの(それは私にも等しく所有する権利があるはずのものである)を私が所有していないという比較を迂回してはじめて感知される欠如である。
第二次世界大戦が終わったあとの敗戦後の日本はたいへんに貧しかったけれども、人々の顔は総じて明るかった。それは日本人全員が同程度に貧しかったからである。「共和的な貧しさ」(関川夏央)のうちに人々は安らいでいた。私は1950年の生まれであるけれど、50年代までの日本社会の穏やかな空気をまだ覚えている。
そのあと日本は「貧困」から脱して豊かになったけれど、「貧乏人」はむしろ増えた。豊かさに差が生じたからである。
1950年に六畳一間の貸間に住んでいる一家はまだ少なくなかった。だから、住人たちもそのことを深く恥じてはいなかった。それは偶有的な不運によって説明可能だったからである。だが、1960年には、そのような家に住むのは例外的な少数になり、親たちは自分の子どもがそのような家に足を向けることを禁じた。貧しいことは能力や意欲の欠如とみなされるようになったからである。そのようにして、貧乏は「共和的」であることを止めた。
渡辺和博が『金魂巻』で「○金」「○ビ」という二分法で、「ビンボくさい」というのはどういうふるまいを指すのかを論じてベストセラーになったのはバブル直前の1984年のことである。このとき、もはや「貧困」は社会問題ではなくなっていた。問題なのは「貧乏」であり、人が「貧乏」であるかそうでないのかを識別することには、この時点ですでにかなり複雑な手続きを要するようになっていた。
この本の中で渡辺は「イラストレーター」や「コピーライター」や「ミュージシャン」など先端的でお洒落(とみなされている)職業に就いている人々の「○金」「○ビ」識別法をアイロニカルに教示した。渡辺の業績は後期資本主義社会においては、貧乏は記号的なものとなるということを鮮やかに示した点に存する。
年収の多寡はもうここでは主要な識別指標ではなくなっている。「○ビ」の特質とされたのは、「他人の所有物を羨む」というメンタリティそれ自体だったからである。クリエイティヴでイノベーティヴな「○金」の人々は自分の規範に従い、自分の欲望に忠実である。一方、模倣的で追従的な「○ビ」の人々は他人の規範を模倣し、他人の欲望に感染する。例えば、『金根巻』を読んで「○金」と「○ビ」の識別法を学習しようとする態度それ自体が「○ビ」であることの指標であるように「○ビ」は構造化されていた(「金持ち」の定義が「金のことを考えずに済む人」であるように、「○金」というのは、自分が「○金」であるということに特段の意味があるということに気づいていない人のことだからである)。鋭い視点だったと思う。現在メディアで論じられている「貧乏」問題分析はこのときの渡辺和博の批評性に遠く及ばない。
「もはや戦後ではない」という宣言とともに日本が中進国からテイクオフしたあとの日本社会で、貧困はもはや深刻な社会問題とではなくなった。もちろん、貧困な人々は依然として存在したし、今も存在するが、貧困問題は平たく言えば「税金をどう使うか」という行政上のタスクにすぎない。クレバーでフェアな官僚さえいれば十分にマネージ可能な問題である(もし貧困問題がいまだ十分にマネージされていないとすれば、それは「クレバーでフェアな官僚が存在しない」ということを意味しており、私たちが論じているのとは別件の内政問題である)。
貧困はとりあえず前景から退いたが、貧乏は日を追って重大な社会問題となっている。それは貧乏が記号的なものだからである。
貧乏はおのれの相対的劣位を感知して、自分は「貧乏だ」と規定する自己意識が生み出す。だから、政府がどれほど税金を投じても「貧乏人」を富裕にすることはできない。なぜなら、彼らはどれほど富裕になっても、自分の財布から税金を払って「貧乏人を富裕にしてやった」納税者たちに対する相対的劣位に苦しむことを止めることができないからである。
貧乏は金の不足が生み出すのではない。貧乏は「貧乏コンシャスネス」が生み出すのである。誰でも他人の所有物を羨む限り、貧乏であることを止めることはできない。そして、たいへん困ったことに、資本主義市場経済とは、できるだけ多くの人が「私は貧乏だ」と思うことで繁昌するように構造化されたシステムなのである。
当然ながら、どれほどものを買っても、「他人が有しているもの(それゆえ私にも所有権があると見なされているもの)」を買い尽くすことはできない。市場は消費者が「私は貧乏だ」と思えば思うほど栄える。外形的にはきわめて富裕でありながら、なお自分を貧乏だと思い込んでいる人間こそ市場にとって理想的な消費者である。だから、企業もメディアも、消費者に向かっては「あなたは当然所有してしかるべきものをまだ持っていない」という文型で(つまり、「あなたは貧乏人だ」と耳元でがなり立て続けることによって)欲望を喚起することを決して止めないのである。ナイーブな人々はそのアナウンスをそのままに信じて、おのれの財政状態にかかわらず、「私は貧乏だ」と考えて苦しむことを止めない。そのようにして資本主義は今日まで繁昌してき。
「私は貧乏だと思って苦しむこと」は(定義上からしても)人間をあまり幸福にはしない。できれば、「これだけ所有していれば、もう十分豊かであるので、苦しむのを止めようと考える」方が精神衛生上はよろしいかと思う。だが、「私はすでに十分に豊かである」と考える人はたいへん少ない。もちろん、それには理由があって、そんな人ばかりになったら、消費は一気に冷え込んでしまうからである。もし人々が方丈の草庵を結び、庭に生えたトマトと胡瓜を囓り、琴を弾じ、詩を吟じ、友と数合の酒を酌み交わして清談することに深い喜びを見出すようになれば、日本経済はたちまち火の消えたようにしぼみ、遠からず日本は中進国レベルに格下げされてしまうであろう。
他者の欲望を模倣するのではなく、自分自身の中から浮かび上がってくる、「自前の欲望」の声に耳を傾けることのできる人は、それだけですでに豊かである。なぜなら、他者の欲望には想像の中でしか出会えないが、自前の欲望は具体的で、それゆえ有限だからだ。自分はいったいどのようなものを食べたいのか、どのような声で話しかけられたいのか、どのような肌触りの服を身にまといたいのか。そのような具体的な問いを一つ一つ立てることのできる人は求めるものの「欠如」を嘆くことはあっても、「貧乏」に苦しむことはない。
日本社会はそのような能力の開発のためにほとんどリソースを投じてこなかった。そのようなものにリソースを投じたら経済成長が鈍化することがわかりきっていることに行政が真剣にかかわるはずがない。
その選択が政策的に間違っていたのかどうか、私には判断ができない。たぶん、そうするしかなかったのだろう。
貧乏コンシャスネスは「万人が平等」であるという市民社会の原理の「コスト」であり、市場経済の駆動力である。それゆえ、これから先も日本人はますます貧乏になり、資本主義はますます繁昌するであろうと私は思う。
まあ、それも仕方がないか、というのが私の考えである。私たちの社会を住み易くするための原理として、とりあえず近代市民社会と市場経済以外の現実的選択肢を思いつけない以上、貧乏くらい我慢するしかあるまいと私は思っている。
現に、貧乏なんだし。
摘自:
http://blog.tatsuru.com/
※圖片:今年出版的『街場の中国論』,我很想讀這本書。不過這本書跟本文沒有關聯喔,不好意思。
http://www.bk1.co.jp/product/2793957