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2006-10-08 10:00:44| 人氣1,160| 回應5 | 上一篇 | 下一篇

要給外國人看

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不管哪一個國家,也許統治者要給外國人看的部分跟外國人要看的部分不太一樣。最近看殷寶寧《情欲.國族.後殖民:誰的中山北路?》一書,想起了以前的經驗。

以前考中文導遊的國家資格時,在一段時間認真背日本觀光地點和其特色。參考書告訴我,外語導遊是民間的外交官,其責任很重,我們應該盡力向外國客人介紹日本「優美的傳統文化」。當時的我比現在乖很多了,把參考書所說的話當真,乖乖記起來。

準備考試的前後幾年,我有幾次陪台灣或大陸客人去觀光的經驗,那經驗告訴我,客人要觀看的事物並不會跟日本政府或觀光協會要給他們看的一致。

有一次帶兩位台灣男性朋友去鎌倉看看寺廟,結果其中一位客人對行程表示不滿意,他認為舊的東西到中國就有很多,不需要在日本看,他要看的是「現代化」的、熱鬧的地方(如新宿東口周邊)。另外一次帶四個大學生去京都觀光,帶他們去看龍安寺的枯山水(小小的庭院就是了),看完之後在那裡吃湯豆腐,結果大家的反應並沒有好,他們覺得庭院無聊,湯豆腐又貴又沒有味道。

在日本接受中等教育的人透過學校教育都會學習鎌倉或京都的寺廟多麼美,我們該好好欣賞它,京都的料理跟關東地區不一樣,味道很清淡,但這樣才會享受素材本身的味道,你得懂得好好享受它-如果不懂得這些,就會被認為鄉下人-。我很久沒有去過京都了,現在不知道到底我真的喜歡味道很清淡的湯豆腐,還是只怕被人家取笑不懂事,假裝懂得享受?

我很喜歡在日本陪外國客人去觀光,透過了解他們的觀點,可以反省自己對日本的想像,也可以發現以前看不到的日本。

我在台灣不太會被殷寶寧所說的「復古式建築」吸引,吸引我的建築物都是原來就有的廟、三合院或中西混合式的房子等,不會被太偉大的建築物或空間吸引。來過台灣的日本朋友喜歡的地方是九份和平溪,另外一個外國朋友說,下次有時間想要去三峽老街看看。(我知道我樣本太少了,只有幾個,所以不能一概而論。有可能有些外國觀光客為了看101、住圓山大飯店來台灣吧。)

聽聽外國人對自己熟悉的空間的解讀很有趣喔,他們的解讀往往違反當地人的「正確」的解讀,這會讓我們不舒服,甚至生氣,不過想想,為什麼可以斷定他們的解讀有錯?

以下是殷寶寧寫的,我很想知道台灣讀者對這本書有什麼樣的看法,想知道台灣讀者會不會贊成她對中國復古式建築的解讀。

參考:

第二章 從條通生活到國到的營造-階級、族群與省籍區分之歷史建構
第三節 國道營造下的權力地景生產

3-3「復古式建築」所承載之「中國現代性」
因此,在空間文化形式的構築過程,大量復古式建築的出現,便是發展觀光的號召下,以展現外國人眼中的「中國性」、「異國情調」的追求成為設計目標,一些觀光飯店(如圓山飯店)、餐廳或風景區的規劃,如梨山、澄清湖,便皆以表現中國風格為依歸,而文化設施的興建亦配合此一目標,例如興建故宮博物院的目標中,有一項便是「配合觀光事業」。
「復古式建築」所形成的支配性地景,不僅以其龐大量體、霸氣的空間尺度形成散佈於都市中的公共建築物,並擠壓了台灣計有之閩南式建築,以及日據時期以降的折衷式建築等不同歷史產物空間表徵得生存,例如一九六六年台南市延平郡王祀、以及台北的東門、南門、小南門的整建工作,都對這些歷史建築造成嚴重的破壞。(第七十頁)

對象徵不同文化傳承與歷史內涵之空間形式表徵的打壓,事實上也說明了一元化極權統治權威,對各個歷史經驗主體性及其集體記憶的斲斷割裂,是一股內在殖民力量的作用。(第七十一頁)

但諷刺的是,此一藉著「中原沙文主義」取代、割裂既有文化脈絡的支配企圖,卻同時也在對「中國固有文化」的自戀情節中,找尋被觀看、被關注以及被認同的眼光,亦即想要獲取來自以美國為首新殖民主義霸權集團的肯定。
華宜昌曾分析此一建築類型在台灣蔚為風潮的成因,包括:(一)吸引觀光客,塑造出「東方的古中國」的印象。(二)是種「發揚固有文化」的心理作崇。(三)一種來台的大陸人民對故土懷念的隱藏情緒。(第七十二頁)

台長: 雪子
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雪子
找到了村上春樹「やがて哀しき外国語」のためのあとがき一文中,可以認同的部分,想要跟大家分享。

・・・通り過ぎる他人には通り過ぎる人の視点があり、そこに腰をすえている人には腰をすえている人の視点がある。どちらにもメリットがあり、死角がある。・・・そこに根を下ろしているだけ、かえって見えないというものだってある。どれだけ自分の視点と真剣に、あるいは柔軟にかかわえりあえるか、・・・。(275)

これに少し似ているが、外国で暮らすことのメリット―といえるかどうかはいささか疑問だけど―のひとつは、自分が単なる一人の無能力な外国人、よそ者(ストレンジャー)でしかないと実感できることだ。・・・たとえ弱者としてであれ、無能力者としてであれ、そういう風に虚飾や贅肉のないまったくの自分自身になることができる(あるいはならざるを得ない)状況を持つというのは、ある意味では貴重なことではあるまいかとさえ感じている。(278)

そういう意味では、この本の「やがて哀しき外国語」というタイトルは、僕にとってはけっこう切実な響きをもっている。・・・しかし「哀しき」と言っても、それは外国語を話さなくてはいけないのが辛いとか、あるいは外国語がうまく話せないのが哀しいということではない。もちろん少しはそれもあるけど、それが主要な問題ではない。僕が本当に言いたいのは、自分にとって自明性を持たない言語に何の因果か自分がこうして取り込まれているとう、そういう状況自体がある種の哀しみに似たものを含んでいるということだ。・・・そしてたまに日本に戻ってくると、今度はこう思ってまた不思議に哀しい気持ちになる。「僕らがこうして自明だと思っているこれらのものは、本当に僕らにとって自明のものなのだろうか」と。・・・たとえどこにいたところで、僕らはみんなどこかの部分でストレンジャーであり、僕らはその薄明のエリアでいつか無言の自明性に裏切られ、切り捨てられていくのではないかといううっすらと肌寒い懐疑の感覚だ。(284-285)
2006-10-08 19:27:44
雪子
我現在算是「屬於」台灣社會,所以現在我也跟村上春樹有類似的想法。
でもそれはよく承知の上で、今回はなるべく「第二印象」から「第三印象」くらいの目でものを書いてみたいと最初に思った。せっかく今度はアメリカという社会に一応「属して」生活しているのだから、何か新鮮なもの、目新しいものにぱっととびついてものを書くだけではなく、少し引いたところから時間をかけていろんなことを考えてみたかったのだ。写真で言えば、標準レンズだけを使って、普通の距離からごく当たり前のものを移してみたかった。(276)
2006-10-08 19:33:58
雪子
就《情欲.國族.後殖民:誰的中山北路?》,想要改天再繼續討論其他部分。
2006-10-08 19:36:18
hayashi
我想三峽老街某種程度上也是因為觀光的目的而整修,雖然這樣不是不好.

我倒是覺得清水祖師廟旁邊的巷子是原來的樣子.

桃園縣政府關於一些景點的介紹;
http://www.tycg.gov.tw/cgi-bin/SM_theme?page=3e7fb6e5
2006-10-23 00:26:52
雪子
hayashi桑:

謝謝妳的介紹!
2006-10-23 13:30:02
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