神無ノ鳥 シーン回想 番外編
九
それから、またしばらく経ったある日のこと。
神無山―人の世;ふもとの村
斑鳩は紗の住んでいる山のふもとの村にいた。
飢饉【ききん】に襲われ食うや食わずの生活を送っている【おくっている】為だろうか、今年【ことし】はやたらと死ぬ者が多い。
今日【きょう】も、そんな『近い内に彼岸へと旅立つ【たびだつ】もの』の様子を見に来たのだけれど。
(紗)「…そ、そんな…たったこれだけ……ですか?」
(村人)「仕方ねぇべよ。皆【みな】、不作【ふさく】で苦しんだからよ。分けて貰える【もらえる】だけ有難ぇ【ありがたいぇ】と思ってくんねぇと」
(紗)「でも、これではあまりにも……」
(村人)「んなら、受け取らなくても【うけとらなくても】いいべよ。食料【しょくりょう】を欲しがってる村人は他にも沢山【たくさん】おるんだからよ」
(紗)「そんなっ…!」
(村人)「それともおめぇ、もう一回【いっかい】…売って【うって】くれんのか?…オレともう一回出来るっつうんなら、考えねぇ事も無ぇ【ねぇ】けどな…」
(紗)「………」
(村人)「ま、無理のとは言わねぇけど」
(紗)「ま、待ってください!」
紗は慌てて【あわてて】、家の中へと戻ろうとする男の袖口【そでくち】を引いた。
(紗)「…い、言う通りに…します…。ですから…」
(村人)「……なら、さっさとこっちに来るべよ」
(紗)「………」
紗は男に誘われる【さそわれる】まま、建物【たてもの】の中へと足を踏み入れた【ふみいれた】。
人並み【ひとなみ】外れた【はずれた】聴力【ちょうりょく】で二人の会話【かいわ】を聴いていた斑鳩は、茫然【ぼうぜん】とその場に立ち尽くす。
あの建物の中で何か行われているのか、確かめずとも分かっていたけれど。
けれど何故斑鳩の足は、勝手に【かってに】あの建物へと向かっていた。
古びた【ふるびた】戸に手を掛け、音を立てぬように気を遣いながら…ゆっくりと戸を引き開けると…
-blogの自主規範-
(紗)「ん、んんっ…!あぁっ、んはぁん……」
紗の嬌声【きょうせい】が耳に飛び込んでいる【とびこんでいる】。
薄暗がりの中で、白い肌【はだ】と土埃【つちぼこり】にまみれた男の身体とが絡み合っていた【からみあっていた】。
(村人)「くふっ、はぁ、はぁ…っ……」
男は娘の頭を押さえ、自らの身体の中心へと誘った【さそった】。
紗は一瞬躊躇するそぶりを見せるが、男はそれを許そうとしない。
(村人)「…ほら、紗。何でも言うことを聞いてくれるんだろう?」
(紗)「………」
男の言葉を聞いて、紗は観念した様子で俯いた【うつむいた】。
そしてゆっくりと…男の分身【分身】へと顔を近づけ、ゆっくりとそれをくちに含む【ふくむ・くくむ・ふふむ】。
ちゅっ、ちゅくっ、ちゅぷ……水音【みずおと】が紗の口元【くちもと】から聞こえてきた。
家の中の土の匂いに混じって【まじって】、発情した【はつじょうした】獣の匂いが漂ってくる【ただよってくる】。
(紗)「はぁ、はぁ、あっ…。んふっ、んっ…」
男への気遣いのつもりなのか、濡れた声を洩らす紗の目にして斑鳩は顔を歪めた【ゆがめた】。
おそらく、紗は今までずっとこうして…日々の糧【かて】を得ていた【えていた】のだろう。
村人達の情欲【じょうよく】を解消してやる【かいしょうしてやる】代わりに【かわりに】、食料を分けて貰っていたのだ。
確かに、身寄り【みより】の無い娘が一人生きてゆく為にはこうした事があっても仕方無いのかも知れない。
けれど、なぜだろう。不快な【ふかいな】ものが胸中【きょうちゅう】を満たしてゆく【みたしてゆく】。
斑鳩はめをそらし、戸の側を離れた。
-blogの自主規範-
それから、半刻【はんこく】程の時が流れて【ながれて】。
(紗)「…それでは、失礼します……」
食料の入った風呂敷【ふろしき】を背【せ】に、紗がたてものから姿を現した【あらわした】。
建物の中にいる村人に頭を下げた【さげた】後、おぼつかぬ足取り【あしどり】で歩いて行く【あるいてゆく】。
物陰【ものかげ】に身を隠した斑鳩は、彼女の後ろ姿【うしろすがた】を目で追った【おった】。
紗はこちらに気付く様子も無く、山中【さんちゅう】の社への道を一人歩いてゆく。
…ふと、昨夜【ゆうべ】夢の中で会った紗の母の言葉が頭をよぎった。
(女)『お願い…します…。わたしの…子をっ……。でなければ、わたしは……死んでも…死にきれません……』
(斑鳩)「…もしかすると、この私を怨んで【うらんで】夢枕【ゆめまくら】に立ったのかも知れぬな」
人間の言う『怨霊【おんりょう】』とやらの存在など、欠片【かけら】も信じてはいない筈なのに。
もしあの時紗の母が生き延びていたならと、心のどこかで思うのだ。母が生きていれば、紗の身体を売って生きていく事にはならなかったのかもしれない。
(斑鳩)「……済まぬ【すまぬ】な、女」
既に転生【てんしょう】を果たした【はたした】筈の魂に向かって、斑鳩は一言【ひとこと】詫びた後、急ぎ足【いそぎあし】で紗を追い、声をかけようとすると。
(紗)「斑鳩さまですか?」
声をかける前に、紗はこちらを振り返った。
(斑鳩)「…なぜ、私だと分かったのだ?」
(紗)「足音で、何となく【なんとなく】分かりました。あと、匂いです」
(斑鳩)「匂い?」
(紗)「はい、匂いです」
五感の内【ごかんのうち】、一つの感覚【かんかく】が完全に断たれてしまうと【たたれてしまうと】他の感覚が研ぎ澄まされる【とぎすまされる】という。
おそらく紗の耳や鼻は、常人【じょうじん】のそれよりも鋭敏に【えいびんに】なっているのだろう。
(紗)「…斑鳩さまも、この村に何かご用だったのですか?」
(斑鳩)「ああ。…そなたもか?」
(紗)「はい。村の方に、食料を分けて頂いたのです」
身体を売って得た食料だという事を悟らせぬ【さとらせぬ】健気な【けなげな】口調【くちしらべ】で、紗は説明する。
(斑鳩)「今年は作物【さくぶつ】の出来【でき】も悪い【わるい】ようだから、分けて貰うも大変だろう」
(紗)「そうですね。でも、この村の方【かた】は親切【しんせつ】ですから」
(斑鳩)「………」
斑鳩にはどうしても、あの村人が『親切』だとは思えない。ただ義務的に【ぎむてきに】、抱かせてもらった【だかせてもらった】代金【だいきん】を払っている【はらっている】だけではないだろうか。
紗はそんな思惑に【おもわくに】気付かぬほど、無学【むがく】なのだろうか?
(紗)「どうしました?斑鳩さま」
(斑鳩)「む?…何がだ?」
(紗)「先程からずっと黙ってらっしゃるので、どうしたのかと思って…」
(斑鳩)「何でもない。ただ、考え事【かんがえこと】をしていたのでな」
(紗)「ああ、そうでしたか。お邪魔【おじゃま】をしてしまってすみません」
しゃはおどけて、ぴょこんと頭を下げる。
(斑鳩)「…紗」
(紗)「はい、何でしょう?」
(斑鳩)「荷物【にもつ】を貸せ【かせ】。…社まで運んでやろう」
(紗)「えっ?これくらいなら、わたし一人で…」
(斑鳩)「いいから、貸せ。華奢な【きゃしゃな】娘がこの荷物を抱えている【かかえている】様【さま・ざま】は、見ているだけで危うくて【あやうくて】たまらぬ」
斑鳩は紗の背負っている【せおっている】風呂敷を強引に【ごういんに】外し【はずし】、奪い取る。
(紗)「あっ……あ、有難うございます。斑鳩さま……」
(斑鳩)「礼には及ばぬ。…そなたの事は、あの女に頼まれておるからな」
驚く【おどろく】程自然に【しぜんに】、紗の母の事が口のぼった。
(紗)「えっ?」
(斑鳩)「…いや、何でもない。こちらの話だ」
人と交わした【かわした】約束【やくそく】など、取るに足らぬ【とるにたらぬ】ものだと思っていた筈なのに。
(紗)「今、誰かに頼まれたって……」
(斑鳩)「何でもない。口が滑った【すべった】だけだ」
(紗)「…そうですか」
まだ疑念【ぎねん】は消えていないのか、紗は視線を地面【ちめん】へと落として【おとして】唇【くちびる】を尖らせた【とがらせた】。
(斑鳩)「ところで、紗。身体に方【ほう】は、もう大丈夫なのか」
(紗)「はい、まだ少し熱っぽい【ねつっぽい】ような気がしますけど」
(斑鳩)「…どれ……」
斑鳩は紗の額に手を伸ばし、熱があるかどうかを確かめる。
(斑鳩)「む……。確かに少し熱いような気がするな」
(紗)「これくらいなら、平気です」
(斑鳩)「他にどこか具合【ぐあい】の悪いところは無いのか」
(紗)「はい。熱があるだけです」
(斑鳩)「熱だけか。…奇妙な【きみょうな】病だな」
こんなに長い間【ながいあいだ】、熱が引かないというのも妙な【みょうな】ものだ。
(紗)「そうですか?わたしには、よく分かりません」
(斑鳩)「そなた、自分の身体の事が心配ではないのか?」
(紗)「心配ですけど…いくら考えても、わたしには分からないと思いますから」
(斑鳩)「…ふっ……」
明るくのたまってみせる紗を見て、斑鳩は思わず笑み【えみ】をこぼす。
(紗)「あれ?どうしたんですか?斑鳩さま。私、何かおかしなことを言いました?」
(斑鳩)「いや。…そなたは明るいと思ってな」
(紗)「そうですか?自分ではよくわかりませんけど」
自身に降りかかる【ふりかかる】不幸【ふこう】を認識出来ぬ【にんしきできぬ】のは紗が無学な為か、はたまた素質か。
(斑鳩)「だが、そういう明るさ【あかるさ】は…嫌い【きらい】ではない」
どんな状況にあって褪せぬ【あせぬ】天性【てんせい】の明るさが、斑鳩を安堵させる【あんどさせる】。
(紗)「ふふっ、ありがとうございます……」
紗は誉められた理由を尋ねもせず、ただ無邪気【むじゃき】の笑った…。
それから斑鳩は気が向けば、紗の所へ通い【かよい】、彼女の無事【ぶじ】を確かめた。
『神無ノ鳥』としては出過ぎた真似だと思わなくもなかったけれど。
魂を回収する対象の『人間』というものへの興味を、今更【いまさら】ながらに掻き立てられたか。
斑鳩自身も、まだよく分かってはいなかった。
そう。神無山から、あの命令【めいれい】を受けるまでは。
出處:[すたじおみりす team L←→R] 神無ノ鳥
原文 神無ノ鳥 シーン回想 番外編 【振り仮名付き】 十