職人芸
最近はちょっとした仕事に携わる人も、職人、と言うから、日本には職人が溢れています。しかしながら、もともとは、職人と言うのは、大工さんとか、石工さんとか、あるいは機械工場で働く、長い年月の修行と経験によって巧みの技を身に付けた人、かつ何か天性のものを併せ持つ人、そういう人を尊敬をこめて呼んだ言葉だと思います。そういう意味では、わたしたちプロセスエンジニアも、ある意味では職人なのだと自負したいものです。
さて、その職人の技術のことを職人芸と言いますが、その職人芸も最近はなかなかむつかしくなってきています。コンピュータの進出です。コンピュータにあまり触れたことがない人は、機械のすることなんて、といまだに言いますが、コンピュータの力はすごいものです。
ほかの仕事はわかりませんから誤解を生むとよくないので、化学工学の話をすると、蒸留塔の設計計算をするのに、昔は、経験で巧の技を身につけた人が、実験をして得られた少ないデータをもとに、試行錯誤で一月をかけて計算したものです。その計算には、経験と技量が必要で、まさに職人芸でした。ところが今では、各組成の物性パラメータを入力してやれば、夜のうちに、はるかに正確な計算結果を、机の上の箱が計算してくれます。図面にしてもそうです。昔は、ほんとに図面を引くだけの職人さんがいて、細かい設計図面を作ってくれたそうです。でも今は、わたしたち素人がパソコンを使ってどんな大きなプラントの設計図面もおおよそのところは書きますし、コンピュータはそれをもとに3Dに作り上げ、バーチャルな世界の中でプラントのなかを歩くことができます。
そこまで、職人芸、は侵食されているのですか?
これに対して、そんなことはない、人でなければできないことはある、といいます。
それは正論です。1/1000ミリの厚みを指先で感じることができる、そういう人は確かにいます。でもそれは、何十年も経験を積んだからというのとはちょっと違います。もちろん、何十年も経験を積んで1/1000ミリがわかると言っている人は怒るかもしれませんが、わたしたちのアジアの工場では、若い女性が二週間程度の研修でそれをしています。経験もあるでしょうが、感覚の才能、というのはまた、あるものなのです。これは事実です。
でも、だから職人はもう、意味がないということではありません。職人芸のすごいところは、信じられない細かい仕事ができるとか、1/1000ミリがわかるとかではなく、見つけたことを、どうやって判断するか、その能力、そしてその能力と技量を伝えてゆく能力、それが本当の職人なのでしょう。
そういう意味で、ほんとうの職人の人たちには、胸を張って、自信をもってがんばってもらいたいと思います。もちろん、日本だけではありません。
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