【以下日本語ですみません。】
今日も一日蒸し暑い。
高知では台風の大雨で大変な様子。自然災害のみならず、高雄のガス爆発、雲南の地震、昆山の粉塵爆発と、このところ大きな災害が続いている。亡くなられた方々には心からのご冥福をお祈り致したい。また、被災された方々にはお見舞い申し上げるとともに、早急なる復旧と、心の平穏を取り戻されることを、お祈りさせていただきます。
さて、先日友人のひとりが、有名なコンサル会社を辞め、カメラの技術ライターとして独立した、との連絡を貰いました。彼は、カメラの構造や技術に関する知識も深く、これまでも雑誌やウェブページなどに、たくさんの記事を執筆しており、ひとかどのライターであるので、十分やっていけるだろう。ある意味、羨ましい限りである。趣味を実益に生かせていけるだけの、能力と経験のたまものであり、仕事の合間に写真を撮ったりカメラをいじったりする私にはちょっと真似できない。彼と話していると、こんなことも知らなかったのか、と技術的な面で恥ずかしく思うことも少なくない。
ただ、手慰みに趣味で写真を撮っている者として、ひとこと言い訳をさせてもらえれば、写真とカメラはちょっとだけ異なる。技術的に突き詰め、機材の能力を最大限に生かし、解像度に優れた写真を撮る、ということと、何を撮ったのか、そのときどんな気持ちだったのか、その気持ちのどこを人に伝えたいのか、は少々世界が異なるように思う。後者は、どういった機材でどういう設定でより高い解像度を、ということよりも、何を撮ったのか、がポイントとなるだろう。その何か、は、別に旅費をはたいて遠くまで出掛ける必要もなく、身の回りにもたくさん、撮っておきたいモノがある。私はこれまで、そうやって写真を趣味にしてきたつもりだ。
とはいえ、では携帯電話で撮ってもいいのではないか?、という疑問には、やはり、それではちょっと、と言わざるを得ない。それに、カメラをいじる楽しみ、というのももちろんある。自らを振り返ってみて、ちょっとした自己矛盾に陥ってしまった(笑)。
写真を趣味とする、と言ったとき、何のために撮るのか、の課題は、自ずと付きまとうものなのだろうが、ときにはそのあたりに気を廻して見るのも、趣味を深める一つの手段なのかもしれませんね。
蒸し暑い午後、ふとそんなことを考えてみた。
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