今週は日本は3連休です。
月曜は「勤労感謝の日」です。「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」日ですが、もともとは新嘗祭で五穀豊穣を祝う日ですので、いわゆるLabor’s Dayとはちょっと違いますね。
連休初日の昨日は、良い天気でしたので、秋葉原まで出かけてきました。持ち歩きのノートPCは今ThinkPadを使っています。Think padの松花堂弁当的な外見はとても好きなのですが、持ち歩くにはちょっと重たい。最近持ち歩く書類も多いので、もう少しノートPCを軽くしたいというのが希望です。とはいえ、流行のネットブックではちょっとCPUパワーが非力です。プレゼンだけなら良いのですが、出先で化工計算もちょっとしたい、とのThinkPadの代わりになるくらいのCPUパワーは必要で、かつネットブック並みの軽さ、そうするとPanaのLetsNoteくらいでしょうかね。
下の写真は、松花堂弁当です。
※ 松花堂弁当
松花堂弁当(しょうかどうべんとう)は、中に十字形の仕切りがあり、縁の高いかぶせ蓋のある弁当箱を用いた弁当。
仕切りのそれぞれに刺身、焼き物、煮物、飯などを見栄え良く配置する。盛り分様式としては、ごはんと数種類のおかずを組み合わせたものであり、幕の内弁当に似ているとも言え、しばしば混同もみられる。しかし源流は、幕の内弁当が本膳料理の流れを汲む江戸時代に遡るものであるのに対し、松花堂弁当は懐石料理(茶料理)の流れを汲み昭和になってから誕生した様式であり、歴史は大きく異なる。
「松花堂」の名は、江戸時代初期の石清水八幡宮(京都府八幡市)の社僧であった松花堂昭乗(1584年 - 1639年)に因むものである。昭乗は、農家が種入れとして使っていた器をヒントにこの形の器を作り、絵具箱や煙草盆として使用していた。
その入れ物が松花堂弁当に発展したのは、それから数百年たってからである。昭和の始め(昭和8年(1933年)頃とされている)、代々式部卿を務めた貴志宮家の大阪(桜宮)邸内の茶室「松花堂」で茶事が催された折、日本屈指の名料亭である大阪の「吉兆」の創始者である湯木貞一が、貴志家の当主、貴志奈良二郎(二代貴志泉松庵)よりこの器で茶懐石の弁当をつくるようにと命じられ、後にその事が話題となり、松花堂弁当の名が広まった。十字形の仕切りがあることで、見た目が美しいだけでなく、互いに味や匂いが移らないと考えたためである。湯木は、当時他家から松花堂弁当の依頼を受けると、その都度貴志家への挨拶を怠らなかったという。
ノートPCのThinkPadは、松花堂弁当の弁当箱をコンセプトにしてデザインされたと言われている
秋葉原まで出かけましたが、休日の秋葉原は若い人も多く(10代の)、あまりカメラを振り回す町ではありません。パソコンオタクやラジオオタクだけの街ではなくなっていますので、気をつけなくてはいけませんね。でも、白ロム携帯電話や、得体の知れないパソコン部品など、まだまだ面白そうなものがたくさんあります。
そんなわけで、今日もまた街の写真はありません。
リクエストの多いところすみませんね。
連休のなかびの今日は、晩秋・初冬らしいどんよりとした天気で、暖かくして饂飩と唐揚でも食べてのんびりします。溜まった刑事コロンボの録画でも見ながら過ごします。仕事のことを思い出すのは、明日で十分
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