今年の受験も一段落したが、早くもあちこちに予備校の広告が貼られて、来年の受験生を集めている。もっとも、昔ほどは受験であくせくしなくなってきているようだけれど。
最近この島国では、「勉強ができてもできなくても」、「仕事が出来てもできなくても」同じ待遇、同じ生活ができないといけない。という考え方が、はやりであるし、テレビもそれを喧伝する。”それなりの生活”ではなくて、”みんな同じ生活”でないといけない、ということである。でも、現実にはなかなかそうはいかない。そうはいかないが、よりよい生活をするということと、仕事ができるようになる、とか、勉強が出来るようになる、とかがイコールにならないので、少しなりとも、仕事が出来るようにする、とか、勉強が出来るようにする、ということのは繋がらない。だから、頭は良くはならない。
先日、ある国の友人に、「日本の受験は、いわゆる、頭の良さ、を検定するわけではないので、比較的チャンスは多い」と言われた。確かに、論説をさせられたり、文章の論旨や知識や教養を評価されたりではなく、記憶を試すだけだから、頭の良くない私のような人間でも、時間をかけて記憶を積み上げておけば、チャンスはあるのだ、、、、と思うのは、この年になって、そう言われたからで、若い頃にはとてもそんな風には思わないものである。
もうひとつ、「いい大学を出ても、ふつうの人でも、ほとんど差がない」とよく言われるが、卒業時点ではそれは正解だと思う。その年齢では、ほとんど能力にも経験にも違いはない。但し、いい大学を卒業した人は、そこから経験させてもらえる事実が大きく違ってくるので、我々の年ぐらいになると、もうだいぶ差が付いてしまう。
今となって思えば、もう少し勉強していれば、と、つくづく思うが、それを今、受験年代に言っても、それはきっと認識できないことなのでしょうね。
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