實在無法厚顏的說出『 這是我一生的工作 』
但即使這是無法看到三年後的未來的世界
我也有接受任何結果的覺悟
出道17年。已是連續劇裡的常態性演員, 不但常出現在大受歡迎的作品裡,還在談話性節目裡擔任主持的工作,也以歌手音樂人的身份在全國各處舉行巡迴演唱會,藤木直人先生可說是順風滿帆。只是,他似乎不像是我們在影像中所見到的精明幹練的類型。在準備迎接40歲的今年,對於"好男人"一詞,藤木先生不知有何想法。
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デビュー17年。だからこそ 続けていく厳しさがわかる
已出道17年,正因如此,所以我了解繼續之路的嚴苛
3年先も見えないシゴトを選んでいますから、一生のシゴトにできるかなんて全然わかりません。このシゴトはちやほやもされる一方で、自分の名前と顔を出してやっているからどんな結果も自分で受け入れないといけない、そういうシビアな面も自覚しています。大学生でデビューした当時(1995年)のほうが、今の道について簡単に考えていましたね。
因為選擇了一份根本無法預知三年後的未來的工作,所以也完全不知道有沒有辦法將此份工作做為一生的事業。這一份工作,在受吹捧嬌慣之下的同時,也是用自己的面孔與名字來做的工作,因此無論會有什麼結果,都必須自己去承受,我對於此嚴苛的一面已早有自覺。只是當初在大學剛出道時(1995年),把現在的這條路想得太簡單了。
今の道を目指したのは、大学に入る前。大学生活の間に、この世界に入るきっかけを見つけたいと大学に入ったんです。4年のときに、映画『花より男子』でデビューが決まった。この道で行ける! すぐ大学辞めよう、っていう無鉄砲さでした。友人に引きとめられて、なんとか大学は卒業できましたが(笑)。始めてみると、『花より~』から次が決まらず1995年にデビューして、初めて連ドラに出られたのは3年後でした。その3年の間、オーディションに落ちたり、決まっていたシゴトが白紙になったりし…。「なにかが自分には足りないんだろう」と、いろんなことに気づかされました。
以現在的路為目標是在進大學之前。因為想在大學的四年期間尋找進入演藝界的契機,所以進了大學。大學四年級的時候,已經決定好電影"花樣男子"的出道工作!『此路可行!』, 馬上魯莽的想要退學。在朋友的勸說之下,好不容易才得以從大學畢業(笑)。正式進入演藝圈後,除了1995年出道時的"花樣男子"之外,並無任何工作,而首次接到連續劇的演出工作則已是三年之後。在這三年之中,頻頻在甄選會裡落選,已決定的工作只是白紙一張......。『我應該有什麼不足之處吧.....』於是注意到了許許多多的事情。
そこから、多くの作品に触れるようにいろいろなものを見たり、読んだりしました。連ドラにコンスタントに出られるようになっても、手ごたえのない感覚は残っていました。時間に追われて撮るドラマの現場では、端っこの役になればなるほど、演技指導なんて入らない。間違えずにセリフを言えたらOK、ぐらいのレベル。あやふやな感じだけど、自分自身はがんばっているつもりという時期が続きましたね。
在這之後,希望可以接觸到更多的作品,於是看了很多東西讀了很多的作品。即使可以常在連續劇裡演出之後,心中仍殘留著無法有所反應的感覺。在被時間追著跑的連續劇攝影現場,越是不起眼的小角色,越是無法進入所謂的演技指導範疇內。只要別把台詞說錯就OK,不過僅僅是這樣的程度而已。雖然只是曖昧模糊的感覺,但希望自己可以更加努力的這種時期仍繼續持續著。
変わってきたのは、NHKの朝ドラ『あすか』(1999年)ぐらいからかな。大阪での撮影だったので電車に乗って大阪に移動し、ホテルに泊まって現場に行くという日々は普段のシゴトとは違った感じでした。役で大阪弁を話すのも初めてで新鮮でした。その後すぐ、ドラマ『ナースのお仕事3』でヒロインの相手役が決まり、直球のコメディを経験。それを経て、ドラマ『ラブ・レボリューション』(2001年)で多くの人に僕の存在を認識してもらえるようになって、少しずつ俳優としての実感を得ていったんです。
若說開始有所改變的話,大約是在拍攝NHK晨間連續劇『明日香』(1999年)的時候吧。因為是在大阪拍攝,所以要搭電車去大阪。住在飯店裡,每天去拍攝現場拍戲的這種日子,讓我感到演員與一般的工作確實是不一樣的。再加上因為角色的需要必須說大阪腔,這對首次接觸的我而言是很新鮮的。在這之後又馬上接到『護士的工作』女主角的對手的角色(相手役),讓我體驗到很直接的喜劇表演方式。有了這個歷練之後,透過『愛情革命』(2001年)這齣戲,也讓很多人認識我、知道我的存在,於是我終於有了一些做為一個"演員"的實感。
先輩たちの存在が 引き上げてくれた
因為前輩們的存在 讓我有所成長
日々のシゴトを選ぶときは、目的をもっていたいと思っています。たとえば、このプロデューサーや監督とシゴトをしたいとか、こんな役者さんと共演してみたいとか。モチベーションがなくなると、ただこなしていくだけになってしまうから。だから、現場では、自分の役をとおしての論理的な矛盾点を見つけたときは意見を言います。前後のセリフのつじつまがあっていないとか、この人物ならこういうセリフは言わないだろうとか。“役”としての矛盾があった場合だけですけどね。
一般選擇工作時,通常都是有目的性的。比方說想與這位製作人或是導演合作、或是想與某樣的演員共演等等。因為如果失去了動機的話,工作就會變成只是一種形式上的工作了。因此在現場拍戲的時候,當發現我所飾演的角色在邏輯觀上出現矛盾點時,我會提出意見的。因為前後的台詞如果無法合情合理的話,這個人物就沒辦法說出這樣的台詞吧。這純粹是在"角色"的本身有矛盾的情況之下。
今回の『映画ホタルノヒカリ』では、「部長」がダンスをするシーンがあるんです。イタリアで、シゴト仲間であるイタリア人の願いを叶えてあげるため、という設定なんですね。そのシーンは僕自身としては、「なぜ踊る必要があるのか」と何度考えても謎なんです(笑)。けど、「部長」としては、仲間の切実な願いを叶えてあげたいという優しさは理解できた。役として納得できたから、監督の指示通り、長いダンスを必死に叩き込みました。
這一次在『螢之光』電影裡,部長有一場跳舞的戲。電影裡的設定,是部長為了要完成義大利友人的要求,所以跳了一場舞。『為什麼部長非跳舞不可?』這場戲對我而言,即使想破了頭也還覺得是個謎(笑)。只是對於"部長"這個角色來說,我可以理解那種為了要確切實踐朋友願望的溫柔體貼之心。因為可以理解角色本身的想法,所以便按導演的指示,必死的完成這場很長的舞蹈。
正解はだれにもわからない だから全力で生きる
誰都無法知道何謂正解 因此要盡全力地活著
今年で40歳になります。これまで共演したかたや、一方的に憧れているかたなど自分のうえの世代に素敵な先輩たちが大勢いてくれるのは、すごく励みになっていますね。29歳のとき、ドラマ『アンティーク~西洋骨董洋菓子店~』でご一緒した、椎名桔平さんの作品にかける情熱やストイックさに触れたときにこれが大人なんだと教えてもらいました。阿部寛さんは、小道具などのアイデアを自分でもち込まれていたり発想が豊かで。あのニヒルな笑いも素敵ですよね。映像や舞台で活躍されている唐沢寿明さんは、芝居に絶対的な安心と信頼がある。そんな先輩たちの当時の姿と今の自分を比べて、ふと「ああ、今の自分はそのときの先輩たちより年上なんだ」と思って、自分の足りなさを省みることもあります。でも、先輩たちは同じ年齢差でさらに年を重ねているわけだから、その年齢までに届くようにがんばればいいか、って言い訳のように(笑)、言い聞かせてやっていますかね。
今年我已40歲了。至今我曾與之共演的、以及我非常憧憬的這些年紀在我之上的優秀的前輩們,他們一直以來的活躍與努力,對我而言是一種非常特別的激勵。29歲的時候,我在『西洋骨董洋果子店』裡與椎名桔平先生一起共演,當我接觸到他之於作品的熱情以及克己的自制時,我從他身上懂得了何謂的成熟。阿部寬先生的概念構思非常豐富,他會把一些小道具或是自己的想法帶進角色裡,而且他純真的笑顏是非常迷人的。在電視電影以及舞台裡非常活躍的唐澤壽明先生,他的戲則是絕對可以讓人安心信賴的。
拿現在的自己來與彼時這些優秀的前輩們相比,居然發現『啊~我現在的年紀比當時的他們都還要大。』,愈發感到自己的不足。不過我與這些前輩們之間本就有年齡差距,年歲的增長亦是相同的,因此"在到達那樣的年齡之前繼續努力就可以了!",還真像是個說給自己聽的努力的藉口(笑)。
僕は、この世界に入ったのも遅いし、何事もスタートが遅いんです。10代の自分を振り返るなら、もっと早くからいろんな作品に触れ、役のこともガツガツ勉強していたら違ったかなと思うことはあります。今の10代、20代ってなんでもできるじゃないですか。カラオケがすでにあって、海外や日本の作品にも手軽に触れられて、エンターテインメント的に成熟した文化で育ってきているから。僕はあまり、テレビを見させてもらえなかったこともあって、自分と同世代と比べてもひと世代古い感覚がある。だから今の若い人たちが羨ましく見えちゃうんですよね。その一方で、世間知らずでのんびりした部分が、役者としてのパーソナリティに影響しているかもしれないし、そのおかげで逆に生き残ってこれたのかもしれない。なにが功を奏するかは、誰にもわからないんですよね。今、目の前のことを全力でやっていくしかない。そう思って、日々臨んでいます。
我進入這個世界相當的遲,不管什麼事情的開始都很遲。回首自己十多歲的時候,如果可以早點開始接觸更多的作品、多多少少一點一點的學習與演員相關的東西,現在應該就會不一樣吧。當今十幾歲二十幾歲的年輕人幾乎什麼都會,不是嗎?卡拉OK到處都有,海外或是日本的作品隨手輕易可得,他們是在一個成熟的藝能文化裡成長的。
我以前接觸電視的機會並不太多,與同年紀的人相比感覺上像是另一個更老的世代的人,因此我非常羨慕現在的年輕人。但用另一種想法來看,說不定是因為我不知世事的悠哉,而影響了身為一個演員的我的個人特質,所以才相反的讓我可以殘存至今。不過到底是不是為這個原因而發生功效,誰也不知道吧。
因此現在的我,只能好好地竭盡全力做好我眼前的事。
我用這樣的想法,來面對我的每一日。
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