昨日は、仕事の上での、最初の忘年会でした。
楽しいひと時を過ごして、今朝はのんびりしています。
土曜日のこの時間、テレビを見るのも久しぶりです。
そもそも、テレビをあまり見ない。
週末のこの時間のテレビは、なんだかよくわからない。
朝っぱらから、芸能人が、一皿6000圓する料理を食べて、
その値段を当てたりする番組??
いったいどういう人が見るのだろう、
とは思うが、
世の中には色々な人がいるのだろう。
色々な人といえば、
会社の中にも、ほんとにいろいろな人がいる。
昨今、(賃金)格差、が日本でも問題になっている。
頑張っても頑張っても、給料に差がつかない、
というのはやはり大きな問題である。
ただ、問題はもっと深い。
たとえば、AさんとBさんがいる。
とある、文書のドラフト修正を頼まれたとき、
Aさんは、とりあえず自分のところに持って帰って、
「やるべきこと リスト」に載せ、至急 のマークをして、
別の仕事にかかる。
頭の端には、今日中にこなさなくちゃ、という記憶を残す。
Bさんは、
「15分もらえる?」
と言って、その場で取り掛かる、
15分は無理としても、20分くらい経ったら、依頼者を呼んで、
「ちょっと見て、」
と言いながら、モニタの上で再修正する。
AさんとBさんとでは、処理時間は半日以上違う。
Bさんのやり方は、
種々の仕事に追いかけられている人によく見られる。
このやり方だと、圧倒的に処理時間が短い。
もちろん、じっくり考えなければならないことは別だ。
この例は、業務指揮下、ドラフトを依頼者の主旨を汲んで短時間に修正する、
というこである。
実はこの二つのタイプに比べて、
ほかのタイプも存在する。
Cさんは、
「うん」とか、「はい」とか、いって受け入れるが、
そのままにしてしまい。
2、3日経って「どうした?」と訊かれると、
「ああ、難しくて」
と答えたりする。
もっとすごいのは、
Dさんのように、依頼されたら返す意言葉で、
「いえ、私には難しくてできませんね。」
と、胸を張って答えて、拒否する。
今の日本は(日本に限らないのかもしれないが)、
このくらい業務能力に差がある人が混在した職場が多い。
このなかで、もちろん、BさんとDさんは、給与に多少の差があるが、
それはあくまでも多少、であり、ものすごい差、ではない。
また、あくまでも、同じように仕事のできる、同僚、として扱われ、
業務能力に差があることを公に認めるのは憚られる。
これは、格差、を問題にし、
一生懸命やっているんだから、傷つけてはいけない、
という思想に基づいている。
問題はたぶん、
給与格差以上に、能力格差が広がってしまった、
というところにあるのだろう。
私のように、能力に限界がある者にとっては、
ありがたい社会ではある。
但し、
この思想を維持しながら、国際競争力を高める、
というのには、やはりちょっと無理があるかな。
それどころか、そう遠くない将来に破綻するかもしれない。
Bさんにも、「難しくて、できません。」と言う権利はあるのだから。
逆の見方をすれば、
日本では、比較的能力の優れた人材を、
国際標準に比べてかなり「安く」雇える、ということになる。
ここに気が付いている国外企業も、
最近はちらほら見かけられるようになってきた。
なかなか不思議な社会である。
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