最近、いわゆるニートやフリーターを定職に付けなければいけない、ということで、国や民間が主導で、いろいろなキャンペーンが行われている。村上龍の、「13歳のハローワーク」という本も、その中のひとつと言える。なかなか、よくできた本で、いろいろな仕事が書かれてあり、読んでも楽しく、ためになる本である。しかしながら、少々物足りないところは、職業そのものを興味深く羅列しているのはよいけれど、反面、社会に出て働く、ということがどういうことなのか、ということについてはあまり書かれていない。
いろいろとクリエィティブな仕事が書かれているけれど、社会に出て働く、ということは結局のところ、人からお金をもらう、ということにほかならない。これは、弁護士や医者でも、事業を起こしても、職人芸を誇れる職業であっても、子供たちが嫌がるサラリーマンであっても、基本的には変わらない。その中で、好きなことだけを、自分の思い通りにやっていてお金をもらえる立場になる、ことができるのは、ごく一部の人たちに過ぎない。ほとんどの人たちは、不本意でも周りに迎合しなければならないのが現実である。それが良くない、というのではなく、そういうものが人間社会であり、その中に面白み、を見出していくのが、人生である。
ここで気をつけなくてはいけないのは、一見独立した単独の職業のように見える、大工さんや、美容師さんや、料理人さんや、その他もろもろのクリエィティブな、といわれる職業でも、結局人に使われることが多く、また、自分の思うようにすることが難しい仕事が多い。なぜなら、そういった仕事で、自分の思うようにやっていったら、よほど自分に能力のある人以外は、食べていけなくなってしまうからである。この辺のところはあまり語られていない。手に職を付ければ、誰でも、自分の思い通りに人生を切り開いていけるような錯覚に陥らせる宣伝がされている。誰でも大成できるなら、これほど世の中は複雑怪奇にはなっていない。
逆に、子供たちに人気のないサラリーマン。まあ、最近は、医者でも、大学の先生でもいわゆるサラリーマンが多いけれど、この差別用語であるサラリーマンのほうが、大工さんや、美容師さんや、料理人さんや、その他もろもろのクリエィティブといわれている仕事より、自分の経験とバックグランドにより、比較的言いたいことを言い、やりたいことができる。おかしな話のようだが、よく論理的に考えて自分の周りを見てみると、これもまた事実だということがわかると思う。
このことをきちんと考えないで、クリエィティブな仕事、という言葉に踊らされていると、いつまでたっても、自分が満足できる仕事には就けない。クリエィティブな仕事は、クリエィティブな分だけ、自分の思うようにはできない、というちょっと矛盾した現実がある。
結局、仕事をするということは、どんな仕事でもたいへんで、100%自分の好きなようにはできず、でもその中に面白みを見出してゆくもの、そんなものなのだから。
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