丸若屋が発売している前川印傳のiPhoneカバー「otsuriki」
1月20日まで青山のスパイラルで開催されていた「九谷焼コネクション」。この制作元である九谷焼・上出長右衛門窯をプロデュースするのは丸若屋の丸若裕俊である。彼は、企業とのコラボレーションやキャンペーンにおけるプロデュースワークなどを通して、伝統工芸・工業の良さを現代に広めるべく精力的に活動している。昨年のDESIGNTIDE TOKYOでは、日本古来より伝わるなめした鹿革に染色を施し漆で模様を描く「印傳(いんでん)」のiPhoneカバーを初めて自社ブランドから発売したことも記憶に新しい。彼が面白いのは、最近の傾向である伝統工芸・工業の復興にデザイナーや若者ならではの感性を活用しようという流れとは異なるスタンスをとっている部分だ。その彼から見た現在の工芸・工業の現状、そして丸若屋としてのスタンスと今後について話を伺った。
―1月20日まで青山のスパイラルで展示されていた「九谷焼コネクション」は、九谷焼窯元・上出長右衛門窯の上出惠悟さんの作品展ですね。丸若屋さんはどのような役割で、関わられたのでしょうか?
丸若 上出長右衛門窯の世界観をプロデュースしています。とは言え、作品の何点かは制作ディレクションまで僕がやったものが入っていますし、逆に全く手を触れていないものもあります。この展示期間中に開催した「KUTANI SEAL」というワークショップは上出長右衛門と僕の共同企画でした。
―上出長右衛門窯と上出恵悟さんの世界観とはどのようなものだと考えていらっしゃいますか?
丸若 上出長右衛門窯と上出恵悟さんの作品は、美術と工芸の境界線が曖昧なものが多いんです。ですから、今回の展示ではその「境界線」に対して、現時点での答えを長右衛門側なりの形で示したいと思いました。世間的には、どうしてもいろんなものをジャンル分けしがちなんですが、日本では美術と工芸は、本当は密接でありつつも違いがあるという微妙な関係で成り立っているんです。でも、言葉ではなかなか伝えられない。だからこそ、彼らとスパイラルさんのような空間でそれを表現しようと。
「小谷コネクション」で展示された作品「髑髏 お菓子壺 花詰様式」
―本展はスパイラルの空間にうまくあっていますね。
丸若 結果的にはそうなりましたね(笑)。いわゆるクール・ジャパンという立ち位置でもないし、現代アートというわけでもない。「カッコ良くなろう」とか「日本はオシャレなんだ」とか、そういうものではなくて力を抜いた、すごく素の状態を表現できたと思います。これからの日本の伝統工芸の世界観は、このような方向性であるべきだと思うのです。
―今回の展示だけでなく、丸若屋さんは伝統工芸をどううまく今の世の中に出していくかをテーマに活動されていますよね。
丸若 ええ。伝統工芸だけではなくいわゆる工業も扱っていますので、日本のものづくり全般が範囲になります。そう言うとどこまでが工芸で工業かと言う話になりますが、実際は美術と工芸の関係と同じように、すごく曖昧で、そもそも日本には区別はなかった。でも、現在の日本人はこれが工芸でこれが工業だと言葉にとらわれすぎている。僕はそんな観点ではなく、日本人の考え方や勤勉さ、創意工夫といった高い想像力から作り出されるものづくりにすごく魅力を感じるので、それをできるだけそのままの状態で、外に出して広めていきたいと思っています。
―なるほど。昨年のDESIGNTIDE TOKYOでも、iPhoneカバーを発表されてましたよね。これは丸若屋さんの自社ブランドだそうですね。
丸若 これは「otruriki」という我々の自社ブランドの第一弾です。これまで企業にキャンペーンなどで伝統工芸・工業を新しい自発的なものづくりとしてプロデュースするということがコンセプトなんです。
―自発的なものづくり、ですか。具体的に教えてください。
丸若 ある意味での「作り手が責任を持つものづくり」です。デザイナーが関わったことを全面的に打ち出すのではなく、デザイナーはあくまで最後のパッケージであるとし、何を作りたいのか、何をお客様に届けたいかは職人が自らアンテナを立てて、自発的に考え、時代に残っていこうというコンセプトなんです。そして、職人はその部分のリスクを背負うかわりに、別の部分では僕ら丸若屋もリスクを背負うという役割分担があります。例えば、iPhoneカバーは、彼らのリスクで作るけど、DESIGNTIDE TOKYOに出るリスクは僕らが背負うということですね。責任をみんなで分担していいものづくりをしてお客様に届けるというスタンスなんです。
2007年に発表された自転車「PUMA 8 speed
Urbun Mobility Bike」。PUMA、上出長衛門窯と丸若屋のコラボレーションだ。
―伝統工芸・工業の良さはどういうところにあると感じていらっしゃいますか?
丸若 前述の回答にも近いですが、日本人なりの責任の取り方がものづくりの中にあるところです。最近の日本は、ものを買ったり使ったりする際、法的に定められた検査の合格でみんな安心している節があると思うんです。それが悪いわけではないんですが、もともと日本のものづくりは、みんながそれぞれの責任を持って作っているのが当たり前だった。例えば職人の銘入れがあるだけでもう保証だったり。
―そうなると逆に使う側も、使用方法に理解がないといけませんよね。
丸若 ええ。ケース・バイ・ケースですが、誤解を恐れず言うとクレーム自体がすごく想像力がない発言に聴こえることもあるんですね。よく聞くと、そんな使い方をしたら普通に考えると壊れるに決まっているようなこともあるわけで。例えば、漆は使っていくうちに色も変化しますし、鹿革だったら染料がとれるかもしれない。でも、その中でどうやって使っていくかだと思うんです。だから、今後、消費者の、ものに対する感覚も変えていきたいですし、変えていかなくてはいけないと思っています。
―では、今の日本の伝統工芸・工業の問題点はありますか。
丸若 先ほどのジャンル分けの部分です。周囲が騒ぐジャンル分けに現場が振り回されているきらいがあります。そもそもそこを問題点にしていることが問題。ものを作るというプロセスが、行為として見て素晴らしいものは何だろうという気持ちの再認識がすごく大切だと思います。
同じくプーマとのコラボレーション「PUMA Bento Box
Project」。(左)柴田慶信商店の弁当箱「曲げわっぱ」、柏木工房「栗懐中箸」、竺仙の江戸前「竹林柄 風呂敷」三点、(右)北嶋絞製作所「絞り弁当箱」、長谷川挽物製作所「チタン箸」、織元山口「Phototex風呂敷」。すべて丸若屋のプロデュースでいずれも特注品。
―デザインの最近の考え方としては、デザインの力で日本の伝統工芸・工業を洗練された形で復興し、見せていこうというものが主流だと思うんです。でも、丸若屋さんはそれとはまったく違いますよね。iPhoneカバーを見て驚いたのは、デザイナーが手がけた「モダンな伝統工芸・工業」ではなく、日本古来から愛されてきた文様をデフォルメせずに素直にカバーの装飾として使用されていたところです。今の流れに対して、このカバーに「そのままが美しい」というメッセージを感じ取ったのですが。
丸若 ええ、そのとおりです。このようなお仕事を始めた数年前は、僕のような考えは一般的ではなかったのでいろいろ言われたんですよ(苦笑)。「誰々のデザイナーさんのときはこうだったのに、今回は違う」とか。
―それは職人さんから?
丸若 はい。僕はデザインは素晴らしいと思うし、大好きなんですよ。必要性も絶対的にあると思います。でも、伝統工芸・工業に限るなら、まずそこに頼る前に本来の立ち位置に戻ることも必要なんじゃないかと考えています。確かにデザインを取り入れると売れるんですよ。でもそれは、工芸は10年後も20年後も変わらずずっと売れるものを作っていくという使命を考えると、今のコマーシャルデザインとは、果たして相性がいいんだろうかとも思うわけです。
―伝統工芸は時間を超えて存在していくことで価値が出てきたわけですよね。
丸若 そうなんですよ。あとはもともと日本のものづくりの中でデザイナーという職業はなかったということです。つまり、職人というのはデザイナーでありアーティスト気質がないと絶対なし得ない職業ですから、そもそもすべてを内包している人のことを指していた。ただ、近代、外国人の視点が入ってきて、デザイナーとかアーティストっていう分け方が出てきたからややこしくなっているだけだと思うんですよ。なので、職人だから外に出なくていいんだとか、そういう考え方自体が間違っていると思います。職人こそ色んな刺激を受けて現代を知って欲しいですよね。
DESIGN
TIDE TOKYOで丸若屋が配布したフリーペーパー。
―数年前は受け入れられなかった自らの考えを現在まで貫き通すことができた原動力はなんでしょうか。
丸若 古九谷などを始めとするいわゆる工芸の一級品を見たときの感銘です。数百年前の焼き物の美しさや素晴らしさを目の当たりにしたときに、僕の考えは間違ってないと言う自信を深めることができたからです。その出会いがなかったら全く違っていたと思いますが。
―最近は周囲の反応も変わってきたように思われますか?
丸若 そうですね。いい意味でも悪い意味でも、変わってきつつあります。ジャンルだったり、伝統工芸とは?という問いや枠なども崩れてきている。でも、僕が興味があるのは、そういうものが全部崩れた時に何が残るか。シビアなことを言うと伝統工芸の中でも全部が残る訳でもないとも思っています。
―では、どんな職人さんや伝統工芸が残ると思いますか?
丸若 前に進むことを絶えず試みている人たちや自分達に誇りを持っている人たちが残ると思います。言い換えれば、責任転嫁をしない人たちだと思います。
―海外展開を意識されることはありますか?
丸若 それは自ずから付いてくるのではないでしょうか。僕は始めて4年ですし、自分の年齢も考えるとまだそんなに広くできるとは思っていないんです。ただ、今やっていることに関しては、海外であろうと東京であろうと、自信はあります。外国人にはなれませんが、彼らが喜ぶものは日本人でも作れるでしょう。それくらいのスタンスでいいと思っています。
―日本人は90年代までずっと欧米を追いかけてきました。でも、最近は自分の国の良さをなんとなく分かってきた気がします。数年前だと西洋と東洋のミクスチャー感が日本らしいとされてきたこともありました。でも、丸若屋さんの考えは、そういうこととは少し違いますよね。
丸若 つまるところ、僕たちは自然体でいたい。日本人であることに自然でいられるし、日本人なのにわざわざ日本人であると自覚する必要はないと思うんです。例えば、「これはMADE IN JAPANなんだ」ということを強く意識することは、本質ではないですよね。今まで日本は、「欧米にも通用する日本人でありたい」とか。少し演じていた部分があるんでしょう。でも、それはなんだか分からない。何度も言いますが、日本人は日本人のままでいいと思います。だから、そんな気持ちを持っている作り手さん達と一緒にやっていきたいです。それは、消費者の皆さんにも伝わるんじゃないかなあ。実際に「otruriki」が、売れて海外や日本全国からお取り寄せを頂いているのはそういうことだと思うんです。
丸若裕俊/Hirotoshi
Maruwaka
プロデューサー、工芸スタイリスト。自身が代表を務める「丸若屋」を通し、日本各地のものづくりをテーマに「人が望むモノは何なのか」「何処に向かうべきか」を軸にプロデュースとスタイリングを行う。時代の求める"作り手"と"売り手"、そして"使い手"を探し育てることから、個々を一つの線で結ぶ為の架け橋迄のトータル提案。1979年東京都生まれ。