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2007-08-17 15:47:14| 人氣184| 回應0 | 上一篇 | 下一篇

解说【三浦百恵】

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プレイバックPARTⅢ】阿木耀子著  解说【三浦百恵】

本文も绍介したいが、なにせ、「百恵」が阿木耀子によるこのBOOKのために「解说」を书いているから、それを优先してここに复写していこうと思う。
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(原文)

”作词者”阿木耀子と”歌手”山口百恵の间にはいつも、ある一定の距离が保たれていた。
どちらかが意识してそうしていたわけではないのに、何故だかいつも、そんな気がしていた。
”横须贺ストーリー”で出逢ってからの五年间を思いおこしてみると、仕事の场以外での阿木さんを、まったくと言っていいほど知らない。
女と女が、密接につき合ってゆくことの方が容易なはずなのに、私と阿木さんが触れあえるのは、”诗”という言叶の空间だけだった。
阿木さんの生んだ言の叶が、私の肉体を通过し、歌という形になって、私の体から私の息づかいで聴く人に届く。
诗をよく理解しなさい---と言われるが、理解しなければならない诗はすでに、もうそこで、歌ではないような気がする。
阿木さんの言叶は、溶けていった。
私の血や、肉体の隅々にふんわりと溶けた。
だから阿木さんの诗は、私の言叶になった。
そして、苏える想い出のように、诗が动く映像となって见えていた。
”横须贺ストーリー”というタイトルの曲が、私の手元に届けられたのは、十七歳の春だった。
白いつなぎにリーゼントで”スモーキン ブギ”を歌っていた、宇崎さん率いるダウンタウンブギウギバンドとは、それまでにも歌番组等で颜を合わせていた。
言叶を交わす机会には、なかなか恵まれなかったのだが、ある时、私のラジオ番组の录音スタジオに宇崎さんが立ち寄った。
「ドラマ、みてますよいつも。
いいですねェ」
つぶやくように、ほんとうにテレくさそうに言って下さった。
それからしばらくして、私のデビューから约三年続いたラジオ番组が终了する、その最终回の录音の日、地方のコンサートを终えた宇崎さんがスタジオに駆けつけて下さった。
ギターを一本かかえて、即兴で作った歌を歌ってくれた。
短い歌だった。
おとなになりかけている少女に、もし恋をしたら、何も出来ないけど俺に话してくれるかい?と问いかけた静かな曲だった。
ほのぼのと、暖かいものに包まれた思いがした。
宇崎さんの曲を歌ってみたい---。
谁かの曲を歌いたいと自分で思ったのも初めてなら、マネージャーやディレクターに、积极的に希望を伝えたりもしたのも、この时が初めてだった。
この希望も、実はすんなり受け入れられたわけではない。
ダウンタウンの宇崎さんには、この顷、リーゼント、つっぱりといつたイメージが定着してしまっていたし、私は---といえば、高校生で、あくまでアイドルという路线を踏みはずすことの无いような、无难な曲作りに重点がおかれていた。
だから、ダウンタウンの主宰者である宇崎さんのイメージが、私に重なることをマネージャーたちは极端に心配していた。
しかしながらそんな心配をよそに、私は”横须贺ストーリー”という曲と、运命に近い冲撃ともいえる出逢いをした。
六年间私が暮らした街、横须贺は、决して歌の舞台にはならないだろうと、心のどこかで思っていた。
あの街はいつも私の心の故郷であり、温かで幼い想い出に満ちているだけの街だった。
それが、恋をする女の舞台となった。
恋のせつなさを静かに见すえている女(ヒロイン)は、私。
”あなた”は横颜のシルエットで、私のとなりに并んでいた。
私は彼を见つめていた。
彼は私を见ない。
记忆の中の横须贺の街の风景がダブって、私はあの街で、大人の恋を味わったという错覚に陥った。
横须贺という街が、あの日以来私の中で、それまで违った辉きを放ち出した。
一篇の诗で、故郷のイメージは、ドラマチックでセクシーな香りを漂わせはじめた。
私自身の歌というものに、初めて出逢えたのだと実感した。
それにしても、この时の私はまだ阿木耀子さんを知らずにいた。
もちろん”横须贺ストーリー”の歌词が书かれた原稿用纸に阿木耀子とサインがしてあつたことで名前は知っていたのだが、阿木さんが宇崎さんの奥さんだということを知ったのは、少し後だったように思う。
おふたりが御夫妇だということが、とても素敌だと思った。
阿木さんの诗には、宇崎さんのメロディが一番似合うと、おふたりの曲を歌うたび感じていた。
阿木さんの诗を宇崎さんのメロディにのせて歌う时だけが、本気になれた。
歌うというよりも、もっと私自身に近いところで歌が呼吸していた。
思えば阿木さんの诗を歌い始めた顷から、実生活での私の恋も始まったのだけれども、阿木さんの诗の中に书かれた言叶が、私に恋という感情のさまざまな波模様を教えてくれたようにも思う。
恋する中で感じた思いを、诗の中に言叶として见つけだしていた。
诗の中から、言叶で飞び込んできた感情が、今度は现実の恋の间に见えかくれしていた。
阿木さんの诗は、そうして私の心の奥深くまで染み込んでいった。
しかしそれでも”作词家”阿木耀子と”歌手”山口百恵の间のある距离感は、保たれていた。
作词家と歌手という関系にピリオドを打って、もう五年になってしまう。
时折、电话で话をしたりするのだが、今もってなお阿木さんには、仕事をしていた顷の心地良い距离を感じている。
阿木さんの言叶に宿った魂が、私の肉体に宿った五年という歳月、そしてその歳月が自然に生み出してくれたふたりの间の距离---今、それをとても神圣なものだと感じている。
时折、时间や空间をとびこえて、阿木さんをなつかしく思うことがある。
ふるさとのように、或いは母を想うように---。
人が生まれて、生を闭じるまでの间、その道には言叶という河が流れている。
母が河の源である小さな泉を与えてくれたとするなら、阿木さんは、その小さな泉を広大な海原まで导いてくれた人である。
自然の中を流れている川も、雨をうけたり、太阳の光を浴びたり、叶の影をうかべたり、自然の生命を映し出して、初めて川としての美しさが辉きを増す。
私に直接言の叶を授けてくれた母という存在を想う以上に、心の奥深いところで阿木さんの生命に近い息づかいを感じながら、私の言叶の河は豊かな水をたたえ、无限の海まで広がっていく。
                 (昭和六十年十一月)
*****譯文*****

作词家阿木耀子与歌手山口百惠之间总是保持着一定的距离。
也不是有意识的这样做,但是不知为什么总觉得是这样。
从《横须贺的故事》开始认识了阿木女士的五年的时间里,对于工作时间以外
的她可以说是一无所知。女人之间,应该是很容易相处的,但是我和阿木女士之间只有“诗”这个空间。
阿木女士所产生的语言,通过我的身体演变成歌的形式,又从我的身体送给与我息息相通的人听。
有人对我说,要理解歌词,但是必须要理解的歌词,对我来说已经不再是歌了。
阿木女士的语言已经融化了。
慢慢的融化在我的血液,我的身体的每一个角落。
然后,犹如那些复苏的回忆,也看见了那些诗变成动感的画面。
横须贺的故事这首歌到我的手中时我17岁那年的春天。
身穿连衣裤演唱过スモーキン ブギ的宇崎先生以前在歌唱节目中见过面,但是一直没有机会交谈,又一次在我上电台作节目的时候,他也在场了。
我经常看你的电视剧,真得很好啊
他小声地说道,还很害羞的样子。
后来过了很久,我从出道开始持续了三年的电台节目结束了,哪次是最后一次录音,宇崎先生在做完了地方的演唱会之后也赶来了,抱着一把吉他,演唱了一首即兴作曲的歌,一手很短的歌。
写的是向一位走向成熟的少女说道,如果你恋爱了,尽管能为你做什么,但是你能告诉我吗?很幽静的一首歌。
我感到了被温馨所包围。
我就想尝试一下宇崎先生的歌。
这也是我第一次向经纪人还有导播提出我想首唱谁的歌,这个小小的希望,实际上并没有被爽快地答应。
那个时候,宇崎先生已经是乐队的台柱子了,而我呢,一个高中生,一个走偶像路线的,也就是难度不大的曲子都是以我为重点的。
因此,downtown的主宰者宇崎先生把他的风格强加于我,遭到许多经纪人的担心,但是就这样的忧虑之时,我遇到了给我的命运一大冲击的《横须贺的故事》。
那是我居住了6年的小镇,我心中一直认为它并不能成为我的舞台。
那座小镇是我心中的故乡,也充满了儿时温馨的回忆。
也成为了恋爱中的女人的舞台。
我一直在注视着他。
他并没有看着我。
在我的记忆中,横须贺的街景是很错杂的,在那里,我一直无人为我已经尝到了恋爱的滋味。
横须贺,从那天起,在我的心中,发射出与以往不同的光芒。
一首歌辞,让我的故乡,开始飘着一股戏剧般的也很性感的芳香。
我深感到,我第一次遇到了属于我自己的歌。
尽管如此,那个时候,我还不知道阿木耀子女士。
当然,横须贺的故事的歌词原稿上面有她的签名,所以我知道她的名字,但是后来我才知道她就是宇崎先生的夫人。
他们夫妇二人,真得很般配。
阿木女士的歌词和宇崎先生的曲子很协调,每当我唱起他们二位的歌的时候,我就会有这种感觉。
阿木女士的词配上宇崎先生的曲子,就在唱的时候,我就会认真起来。
与其说是我在唱歌,倒不如说是那歌在我的身边呼吸着。
我在唱阿木女士的作品的同时,我也开始恋爱了,她的歌词中的语言,也教给我很多恋爱中的情感。
在恋爱中的那种感觉,在歌词中也找到了那种感觉。
在歌词中,注入的那情感,也隐藏在现实中。
阿木女士的歌词也深深地印在我的心底。
尽管如此,作词家阿木耀子和歌手山口百惠之间仍保持着距离。
结束了作词与歌手这种关系已经5年了。
有时候,我们在电话里聊天,与现在的阿木女士,和在工作时候一样,保持着良好的距离
阿木女士的语言中浓缩的灵魂,注入我的体内已经有5年的岁月,这期间所产生的距离,至今我依然感到很神圣
有时候,越过时间与空间,我也很怀念阿木女士。
好似故乡,也让我想起母亲。
人从出生开始,到生命结束,总会流淌着语言这条河。
如果说母亲是大河源头的那小溪,,那么阿木女士就是把我从小溪领向辽阔的海洋的人。
在大自然中流淌的河流,也会接受雨淋、日晒,也会映出树叶的倒影,和大自然的生命,那河流会变得更美丽耀眼。
比起直接教我语言的母亲,我更感到阿木女士在我生命的贴近,我的语言之河越过了丰裕的水面,走向那无限的海洋。

台長: Stephanie
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全站分類: 偶像後援(藝人、後援會) | 個人分類: 山口百惠 |
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